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アイヌ語地名の傾向と対策 (498) 「壮瞥・立香・ヌッパオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

壮瞥(そうべつ)

so-pet
滝・川
(典拠あり、類型あり)

洞爺湖の南東側、昭和新山から見ると北東側の地名で、洞爺湖の流出河川「壮瞥川」が流れています。洞爺湖の水は「壮瞥滝」で一気に落ちるのですが、滝の左右に山が迫っていて、良くこんな隙間があったものだなぁと思わず感心してしまいます(そもそもの因果関係が逆で、隙間がなければ新たにどこか別の隙間を通るだけなんですけどね)。

ちなみに、壮瞥川は洞爺湖唯一の流出河川ですが、発電用に導水管から取水する量が多くなったので、川自体の流量は昔と比べると相当減っているみたいです。壮瞥川は昭和新山の噴火時に下流部が埋まってしまい、集落が水没の危機に見舞われたこともあったので、流量を減らしたのは治水の側面もあるのかもしれません。


アイヌ語so は「滝」を意味し、pet は「川」を意味します。殆ど答が出ちゃってますが、山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょう。

壮瞥 そうべつ
 川名,町名。洞爺湖の水は南東隅から流れ出して途中で滝となり,さらに流れて長流川に入っていた。それで,その川がソー・ペッ(so-pet 滝・川)と呼ばれ,壮瞥と当て字された。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.406 より引用)

はい。so-pet で「滝・川」と考えれば良いのですね。

 その滝はポロ・ソー(poro-so 大・滝)と呼ばれて有名なものであったが,今は水が水力発電に回されているので,わずかに滝跡の崖だけが残っている。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.406 より引用)

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ホロソウ」の文字が記されています。丁巳日誌「於沙流辺津日誌」には、この「ホロソウ」について次のように記されています。

     ホロソウ
 巾八間高五丈七八尺と思わる。其滝大小二ツにわかれ、右の方は中にて腰一ツ折たる故に、水勢浪沫を飛して、十五六間此方壷を隔て眺め居候に衣裳一面に濡れたり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.284 より引用)

「巾八間」ですから幅が約 14.5 m ということですね。「高五丈七八尺」は高さが約 17.6 m ほどと言ったところでしょうか。洞爺湖の水が流出する滝なので、かなり幅広な感じがします。

立香(たつか)

tat-kan-nay?
樺の木の皮・剥ぐ・沢
tapkop?
小さな山(円丘)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

壮瞥の集落から「壮瞥橋」で長流川を渡った先にある集落の名前です。「りっか」ではなくて「たつか」なんですよね。湯桶読み……かな?

「東西蝦夷山川地理取調図」などには記載が見当たらないのですが、戦前の地形図に「達観内」とあるのを見かけました。なかなか傑作な当て字ですね。

「達観内」をヒントに永田地名解を見てみた所、答がありました。

Tat kan nai  タッ カン ナイ  樺皮ヲ剝ク澤

あー、この解には異論がありませんね。tat-kan-nay で「樺の木の皮・剥ぐ・沢」と解することができます。kan は本来は kar ですが、後ろに -nay が続くので rn に変わる音韻変化を起こしています。

ということで、既に答が出てしまいましたが、答え合わせの意味も兼ねて「角川──」(略──)を見ておきましょう。

地名の由来は,古くは達観内と呼ばれていたので,「たつか」をとり,香川県出身者が多いことから立香の字を当てたという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.836 より引用)

なるほどー。「香」の字の由来は洞爺湖町の「成香」と似たような感じだったんですね。うまくやったなー、というのが正直な印象です。

異説?

ということで次の地名に移ろうと思っていたのですが、丁巳日誌「於沙流辺津日誌」に気になる記述が見つかりました。

上りてまた樹木弐丁計を過て
     タツコフ
本川端也。両岸平地にて樹木多し。下草一面に小さきユクトマキナ多し。此処川口大岩五ツ六ツ有て、其間滝様に成て落ると。岩の崖に火を焼し跡有。また向の方七丁計下に
     ヌツコマナイ
といへる川目見ゆ也。其風景いわん方なし。扨タツコフの訳は丸き小さき山と云事の由。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.286 より引用)

そして、頭注には「タプコプ 立香」とあります。これはどう考えれば良いのでしょうか。

改めて「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めてみると、確かに「ソウヘツフト」(壮瞥川の河口)と「レリコマナイ」(現在の「レルコマベツ川」)の間に「タツコフ」と「ヌツコマナイ」という記載があります。

タツコフ」は、おそらく tapkop で「小さな山(円丘)」だと思われます。このあたりで tapkop の形容に相応しい山はどれだろう……と探してみたのですが、可能性を感じられるのが、「ヌッパオマナイ川」と「長流川」が合流するところのすぐ近くにある、国道のすぐ側まで張り出した小さな山でしょうか。ちょっと特徴的な形をしていますし、これなら tapkop で「小さな山」と呼ぶに相応しいように思えます。

ただ、このあたりの「東西蝦夷山川地理取調図」の精度には疑わしいところも多いので、あくまで「異説」のひとつとして捉えるのが正解かなぁ、という気もします。

ヌッパオマナイ川

nup-pa-oma-nay
原野・のかみ・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)

壮瞥町立香の北東(少し離れていますが)を流れる川の名前です。全く同名の川が道東の津別町にもありますね(参考)。

永田地名解には次のように記されていました。

Nup kesh oma nai  ヌㇷ゚ ケㇱュ オマ ナイ  野ノ下方(シモ)ヲ流ル川
Nup pa oma nai   ヌㇷ゚ パ オマ ナイ    野ノ上方ヲ流ル川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.187 より引用)

似たような川名が二つ記録されていますが、「東西蝦夷山川地理取調図」や丁巳日誌「於沙流辺津日誌」では「ヌツコマナイ」という川だけが確認できます。もっとも丁巳日誌の頭注には「ヌプケシユ オマナイ」とあるので、「ヌツコマナイ」は「ヌㇷ゚ ケㇱュ オマ ナイ」だったのかもしれません(つまり、「ヌッパオマナイ」とは無関係)。

「ヌッパオマナイ川」の地名解ですが、nup-pa-oma-nay で「原野・のかみ・そこにある・川」と考えて良いかと思います。解釈自体は澱みのないものですが、nup-kes-oma-nay との位置関係などで若干もやもやした感じが残りますね……。

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