イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、初版からいくつかのエピソードを削った普及版が存在します。これから読み進める「第二十一信」は、普及版では全て削られた部分です。
ということで、今回は時岡敬子さんの訳された「イザベラ・バードの日本紀行」を見ていくことになります。どうやらイザベラは、新潟の街に買い物に出かけたようですが……。
みすぼらしい街
イザベラによる新潟の街の第一印象は「みすぼらしい」というものでした。
「華麗なる東」という文句は、二、三の寺院をのぞき日本のなにに対しても当てはまりません。
この「華麗なる東」というキーワードですが、原文では "gorgeous east" となっていました。マルコ・ポーロの「東方見聞録」以来、このような幻想が綿々と生き続けていた、ということなのでしょうか。イザベラの目には、「灰色をした低い木造の家屋が並ぶ都会」は「類がないほどみすぼらしい」と映ったようです。
一方で、住宅ではなく商店に対しても「外観に関するかぎり──お粗末です」と記しながらも、その理由については一定の理解を示していました。
というのも、最上の反物は湿気やほこりや雨でだめになりはしないかと外に陳列することができないのです。
なるほど、確かに高級な反物を軒先に陳列する筈も無いですからね。外見はみすぼらしいものの、中に入ると品物が大切に収められている、ということにイザベラは気づいたようです。
骨董屋
イザベラは、同じ理屈が「骨董屋」にも存在することに言及しました。中でも「陶器屋」「菓子屋」「神具屋」が一番の穴場?だとしています。毎度のことながら、イザベラは本当に良く見ていますよね……。
陶器屋、菓子屋、神具屋がいちばん見物です。時間と根気があるなら、裏通りの小さな店に入るか、急なはしごを上がって屋根裏に行くと、古い漆器の掘り出し物に出会えるかもしれません。
このあたりの文章は、まるで現代の海外旅行ガイドブックでもそのまんま使えそうな感じがしますね(笑)。
芸術品ともいえる桶
イザベラの「新潟の歩き方 '78」が続きます。「樽屋の前を通るたびに、わたしはなにかしら買いたくなります」とカミングアウトしたイザベラは、その理由を次のように挙げています。
ありふれたたらいが、材料を入念に選び、細部のつくりと美的感覚に留意することによって芸術品に変わっているのです。
最近では滅多に目にしない「たらい」ですが、昭和の頃は金属製のたらいが頭上から落ちてくるのがお約束でした(それってどこのドリフターズ)。イザベラが目にした「たらい」は、もちろんブリキ製のものではなく、木製のものだった筈です。板組みの桶は、板の曲がる方向などにも留意して、使い込んでもおいそれと水が漏れたりしないように精巧に作られていたものでした。
イザベラの理解がどの程度まで及んでいたかは不明ですが、庶民の「道具」である桶やたらいに美しさを見出すあたり、お主もやるな、と言った感じでしょうか(謎の上から目線)。
かんざし
新潟でも、商店街には似た業種の店が一箇所に集まっていたようで、イザベラは「かんざし」を売る店が集中した一角にやってきました。
わたしの数えたところでは飾りのついたかんざしは一一七種類もありました!
これも「かんざし」を「髪飾り」に変えれば、現在でもありそうな光景ですね。女性向けの「カワイイ」文化というのは、意外と古くからあったということかもしれません。
安手の漆器
続いて、ホームセンターのような店にやってきたようです(コメリ?)。イザベラ曰く、同じような種類の店が 8~10 店舗ほど並んでいるのが普通なのだとか。
さらにべつの通りでは唐傘、日笠、雨笠、防水紙製の外套や荷物の覆い、藁製の雨除けむしろを売っていますし、前が赤い漆塗りの荷鞍を売る店も集まっています。
間違いなくホームセンターを想起させる品揃えですが、イザベラはその中で安い漆器が売られていることに気づいたようです。
新潟はロンドンの店や市場で売っているような、黒か赤の地に金色の鳥や竹や牡丹をさっと描いた安手の漆の盆の生産地として有名です。
ん、これって当時既に漆器がロンドンでもメジャーだった……ということなんでしょうか。
海草からつくったラッカーの一種[海草糊?]も生産されています。
「海草からつくったラッカーの一種」というのは確かに意味不明ですが、原文では "A sort of seaweed lacquer" とあるので、そう読むしか無いですよね。海藻を煮沸した液から糊を生成する手法は江戸時代に考案されていたとのことで、漆喰の原料としても使われたことから、イザベラは「ラッカーの一種」としたのかもしれません。
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