やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
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雨煙別(うえんべつ)
幌加内町南部(だと思う)の地名で、同名の川もあります(雨竜川の西支流)。また、国鉄深名線にも同名の駅がありました。せっかくなのでいつものアレを見ておきましょうか。
雨煙別(うえんべつ)
所在地 (石狩国) 雨竜郡幌加内町
開 駅 昭和 6 年 9 月 15 日 (客)
起 源 アイヌ語の「ウエン・ペツ」(悪い川)からとったものである。雨煙別川は断がいが多く、川をつたって歩くのに困難であったため名づけられたものである。
「雨煙別川」は、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ウエンべツ」と描かれているほか、「再篙石狩日誌」にも「ウエンベツ」と記録されています。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には雨竜川の東支流として描かれているので、これは現在の「雨煙内」のことだった可能性もありそうです。割と近くに「雨煙別」と「雨煙内」があって紛らわしいんですよね……。
永田地名解にも次のようにありました。
Wen pet ウェン ペッ 惡川
「惡川」と書かれると「悪の十字架」っぽいですね(どこが)。wen-pet で「悪い・川」という解釈に揺るぎは無いようですが、その解釈については意外とブレがあるようです。実際に更科源蔵さんは「アイヌ語地名解」にて次のように記していました。
この近くのウェンペツ川は水がきたなくのめなかったため名付けられたものであるという。
えっ、マジですか(汗)。その真相は「神の味噌汁」と行ったところでしょうか(何故)。
キトウシナイ川
雨竜川の東支流で、幌加内町上幌加内・振興のあたりを流れています。「再篙石狩日誌」には記載がありませんが、明治時代の「北海道地形図」には「キトタウシュナイ」という名前で描かれていました。
kito-ta-us-nay で「行者ニンニク・採る・いつもする・川」と解釈できそうです。ここから -ta を省略して、kito-us-nay で「行者ニンニク・多くある・川」になったと考えられます。これでも行者ニンニクの自生地であるという情報は残るので、短いに越したことは無い、ということなんでしょうね。
永田地名解には次のように記されていました。
Kitu ta ush nai キト゚ タ ウㇱュ ナイ 菲ヲ掘ル澤「キソタウシナイ」ニ訛ル
「菲」は「韮」の誤字かもしれません。また kito が kitu となる流儀については確認できませんでした。註には「『キソタウシナイ』に訛る」とありますが、kitu が kiso に訛ったと考えるよりは kito が kiso に訛ったと考えるほうが自然に思えます。
瑠潤の沢川(読み不明)
幌加内町振興のあたりで雨竜川に合流する西支流の名前です。「瑠潤の沢」の読み方は不明ですが、「るうるむの──」あたりの可能性があるのではないか、と考えています。それほど大きな川でも無いので、「東西蝦夷山川地理取調図」や「再篙石狩日誌」などには記載がなく、また「北海道地形図」にも名前はありません。
実は、この川はかつて「ルーオマナイ」と呼ばれていたようなのです。「ルーオマナイ」だと ru-oma-nay で「道・そこに入る・川」となります。瑠潤の沢川をまっすぐ西に向かって遡ると「長留内岳」の北北東の鞍部に出て、そのまま西に向かうとニセイパロマップ川に出ることができます。
長留内(おさるない)
幌加内町幌加内から見て、雨竜川の対岸(西側)一帯を指す地名です。同名の川が南部を流れています。古い地図には「長留内」に「オサルンナイ」とルビが振ってあるものもあります。
この長留内川ですが、「東西蝦夷山川地理取調図」には描かれておらず、また「再篙石狩日誌」や永田地名解にも記載がありません。ただ、明治時代の「北海道地形図」などに「オサルンナイ」という名前で描かれています。
良くある地名なので意味するところも自明ですが、念のため山田秀三さんの「北海道の地名」の記述を引用しておきましょう。
オ・サル・ウン・ナイ(o-sar-un-nai 川尻に・葭原・がある・川)の意。
はい。o-sar-un-nay で「河口・葭原・ある・川」と考えて間違いないかと思います。
川尻は低湿地で今でも葭が生えていて,鴨撃ちの人などが来るのだそうである。
へぇ~。長留内川の河口部に向かうには道道 126 号「小平幌加内線」が便利なんですが、この道は延伸計画が凍結されてしまったようで、現在は河口の近くまで行くことができません(汗)。道路自体は河口の近くまで開通済みの筈なんですが……。
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