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アイヌ語地名の傾向と対策 (704) 「ウッカ・クツカルシナイ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウッカ

utka-ya-oma-nay
川の波だつ浅瀬・岸・そこに入る・川

 

(典拠あり、類型あり)

深川市北部、雨竜川北西側の地名です。JR 深名線の駅があった幌成地区の南西側にあたります。現在もカタカナで「ウッカ」表記のようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」や「再篙石狩日誌」には記載を見つけることができませんでした。古い五万分一地形図を見ると、現在「東ウツカ沢川」と呼ばれている川が「ウツカヤオマナイ」として描かれていました。

戦前の陸軍図を見ると、現在の「ウッカ」のあたりに「イナマヲヤカッウ」と描かれていて、川のほうは「東ウッカ澤」となっていました。どうやら「ウッカヤヲマナイ」という川名が先にあり、川の東側の地名に転用された後、川のほうは「東ウッカ澤」という省略形に名を改めた、ということのようですね。そして「ウッカヤヲマナイ」も「ウッカ」となり現在に至る……ということでしょうか。

山田秀三さんの「深川のアイヌ語地名を尋ねて」から引用してみましょう。

 アイヌ語のウッカ utka を、知里『小辞典』から引用すれば「川の波だつ浅瀬、せせらぎ。──本来はわき腹の意で、そのように波だつ浅瀬をさす」。大雨の時に行ったら雨竜川はどこも一ぱいの激流で何のことだか分らなかった。それで落ち着いた時にもう一度見に行った。川はその辺で広くなり、さざ波を立てて流れている。そこがウッカで、それが北岸の地名のもとになったものらしい。
山田秀三アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.244 より引用)

ということで、「ウッカ」は utka で「川の波だつ浅瀬」と考えて良さそうですね。旧称の「ウッカヤオマナイ」は utka-ya-oma-nay で「川の波だつ浅瀬・岸・そこに入る・川」と見て良いかと想います。

クツカルシナイ

ku-kar-us-nay
弓・つくる・いつもする・川
kut-kar-us-nay???
崖・つくる・いつもする・川

 

(典拠あり、類型あり)(??? = 典拠なし、類型未確認)

JR 深名線の「宇摩駅」があったあたりから南に向かい、鞍部を越えた先の一帯の地名です。川(雨竜川の東支流)も流れていますが、こちらは漢字で「屈狩志内川」となっています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「クウカルウシナイ」という名前の川が描かれていました。また「再篙石狩日誌」にも「クウカルウシ」という名前の川が記録されています。これらの記録からは ku-kar-us-nay で「弓・つくる・いつもする・川」と考えられそうです。

山田秀三さんによる検討

山田秀三さんは、「深川のアイヌ語地名を尋ねて」にてこの川名について仔細に検討を行っていました。まずは古い記録の通りに ku-kar-us-nay ではないかとして、具体的な可能性について次のように記しています。

屈狩志内の沢筋にもおんこ等があって弓材として採られたのでこの名があったのではなかろうか。
山田秀三アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.243 より引用)

一方で、現在の音が「クツカルシナイ」であることにも注目し、次のような可能性も考えたようです。

 ただ、今残っている屈狩(くつかり)と音が少し違う。池田輝海氏は、屈狩志内川の上流、通称カムイコタンの辺が峡谷型になっているので「崖を・廻る」と読めるのではないかとの試案を持っておられた。それであったなら、「クッ・カリ・ウㇱ・ナイ kut-kari-ush-nai 崖を・廻って・いる・川」の形であったろう。
山田秀三アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.243 より引用)

屈狩志内川の上流には「屈狩ダム」があるのですが、確かにダムの少し手前に恐ろしく狭隘な谷があります。このあたりも「通行の難所」として認識されていたようで「カムイコタン」という通称があったとのこと。

ただ、実際の川の流れは「崖を・回る」と言うほどでも無いように思えます。ここはむしろ kut-kar-us-nay で「崖・つくる・いつもする・川」と解釈したほうが自然ではないでしょうか。

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