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ニタトロオマナイ川
稚内市声問村樺岡に「タツナラシ山」という山があり、その南を「タツニウシナイ川」が流れていますが、「ニタトロオマナイ川」は「タツニウシナイ川」の南支流です。上流部では道道 138 号「豊富猿払線」が川沿いを通っています。
「東西蝦夷山川地理取調図」や「竹四郎廻浦日記」、戊午日誌「西部古以登以誌」などにはそれらしき川の記録を見つけられませんでした。同様に「永田地名解」にも見当たらないように思われます。
意味するところですが、おそらく nitat-oro-oma-nay で「林間の湿地・の中・そこに入る・川」ではないかと思われます。現在の「ニタトロオマナイ川」の下流部は人工的に整備されたもので、以前は非常に細かく蛇行していました。川沿いに湿地が広がっていたと考えても、特に不思議はありません。
沼川の「ニタトルマナイ」
ただ、一つ重大な問題がありまして……。明治時代の地形図には、沼川の南で声問川(幕別川)に合流する西支流(現在の川名は不明)に「ニタトルマナイ」と描かれているのですね。
これは nitat-utur-oma-nay で「湿地・間・そこに入る・川」と解釈できるかもしれません。これだと「ニタツツロマナイ」になりそうですが、「ツツ」が「ツ」となり、「ツロ」が「トル」に化けた可能性も十分に考えられます。実際の地形も左右に山のある湿地と言った風に見えるので、矛盾は無いものと思われます。
この「ニタトルマナイ」と「ニタトロオマナイ」が同じもの(川名を拝借したもの)なのか、それとも他人の空似なのかは……ちょっとなんとも言えないところです。
宇流谷川(うるや──)
稚内市声問村沼川(かつて国鉄天北線の沼川駅のあったところ)で声問川に合流する東支流の名前です。国鉄天北線(開通時点では「宗谷本線」)はこの川に沿って東に向かい、鬼志別(猿払村)に抜けていました。
「東西蝦夷山川地理取調図」で「ウヘウタラ」と描かれている川が、現在の「宇流谷川」のことだと考えられます。戊午日誌「西部古以登以誌」にも次のように記されていました。
またしばし過て
ウベウタラ
同じく左りの方相応の川なり。此川すじ当帰多く有よりして号。ウヘウとは当帰の事也。タラとは取ると云儀。土人風邪の時には是を取用る也。
「伊吹防風」とは
「当帰」は、頭注によると「ウペウ」「伊吹防風」「やませり」とあります。「伊吹防風」という植物があるようなのですが、知里さんの「植物編」には次のように記されていました。
(參考)辭書に次の如き説明がある。「繖形科の草本の一で強い藥臭を有する。藥劑として盛に用いられ,凡ゆる病氣に効くと云われている。…………流行病の際にこの upeu わ盛んに探し求められるが,それわこのものが病氣に對する一大豫防藥であると考えられ,また一種の護符に役立つと云われているからである。
「防風」は薬効のある植物で、「風邪を防ぐ」ことから「防風」と呼ばれたようです(そう言えば「防風通聖散」という漢方薬もありますが、これも関係あるのでしょうか)。この薬効に由来する「防風」という名前が植物そのものの名前になったようですが、「伊吹防風」はこの「防風」に *似た* 植物だったとのこと。
知里さんが引用した文章を良く読むと、「考えられ」「云われている」と伝聞調で結ばれていることに気づきます。そして「護符」であるとしていて、医学的な効能よりも「魔除け」としての位置づけを重視しているようにも見えます。
「植物編」では「伊吹防風」の具体的な用法を列挙(引用)した後、次のように結論づけています。
この記述にもある通り,この植物の根わ,廣く藥用に供され,特に風邪・腹痛・宿醉等の特効藥と考えられている。風邪の際に煎じて飲む他に,粥の中に入れて食べた。疱瘡の際も勿論用いたが,すべてその強列な臭氣が病魔を撃退するとゆう信仰に基いているのである。
知里さんが引用した「辞書」にも「護符」という表現がありましたが、知里さん自身も「信仰に基づいている」と結んでいました。
生薬としての「防風」については https://www.uchidawakanyaku.co.jp/tamatebako/shoyaku_s.html?page=037 に詳述されていますが、これによると「イブキボウフウ」は「日本薬局方」の「第七局」で削除されたように読み取れます。本来の「防風」と比べて薬効が劣るとされたのか、あるいはそもそも薬効が存在しなかったのかは謎ですが……。
「当帰を掘る川」説
ようやく本題に戻りますが、この「ウヘウタラ」については永田地名解にも記載がありました。
Panke upeu ta ush nai パンケ ウペウ タ ウㇱュナイ下ノ當歸ヲ掘ル川
Penke upeu ta ush nai ペンケ ウペウ タ ウㇱュナイ上ノ當歸ヲ掘ル川
「當歸」は「当帰」の旧字で、「
とりあえず upew が「セリ科の多年草」を意味することだけは間違い無さそうなのですが、まだ問題は山積みです。次の問題は「ウヘウタラ」と「パンケウペウタウシュナイ」の違いについてなのですが……。
松浦武四郎は「ウヘウとは当帰の事也。タラとは取ると云儀」としていますが、「タラ」を「取る」というのがちょっと理解できないのですね。ta は「切る」とか「掘る」と言った意味なのですが、これだと「ラ」は何なんだ、という話になってしまいます。
永田方正も同様に違和感を覚えたのか、「ウヘウタラ」ではなく「ウペウタウシュナイ」であるとしてこの問題に対処しようとしたように見えます。upew-ta-us-nay であれば「イブキボウフウ(の根)・掘る・いつもする・川」となり、文法的にとてもスマートになります。
「当帰」を掘らなかったとしたら
ただ「ウペウタウシュナイ」が「ウヘウタラ」に化けた……というのは、個人的にちょっと疑問が残ります。永田方正の「ウペウタウシュナイ」という解は、松浦武四郎が書き残した「当帰を掘る」という解釈をアイヌ語に逆翻訳したような気がしてならないのですね。
ということで、あえて「当帰を掘る」という解釈を捨てたらどうなるか検討してみたのですが、upen-wattar で「若い・淵」と考えられないでしょうか。upen-(若い)があるということは onne-(老いた)もあるということになりますが、現在の「声問川」が onne-wattar と考えられそうな気もします。
興味深いことに、永田地名解も「パンケウペウタウシュナイ」と「ペンケウペウタイシュナイ」がそれぞれ存在するように記しています。現在の「宇流谷川」は「弟川である」という認識があった……としたら、upen- 説もあっても良いんじゃないか……と思ってしまいます。
そもそもアイヌ語由来か否か
大きな問題はもう一つありまして、これも割と致命的なものなのですが、そもそも「宇流谷川」が「ウヘウタラ」あるいは「パンケウペウタウシュナイ」に由来するかどうか……というものです。「宇流谷川」は「うるや──」だと思われるのですが(「うりゅうや──」という説もある?)、「ウヘウタラ」あるいは「パンケウペウタウシュナイ」との違いがかなり大きいと思うのですね。
ただ少なくとも「ウ」だけは合ってるので(ぉぃ)、何かしらの関連があると考えたいところですが……。もしかしたら偶然だった可能性も十二分にありますね(汗)。
豊別(とよべつ)
稚内市沼川から道道 121 号「稚内幌延線」を南下する途中で「声問川」(幕別川)を渡るのですが、声問川の南側が「下豊別」で、更に南に進んだところが「上豊別」と呼ばれる一帯です。
大正時代に測図された陸軍図では、「下豊別」と「上豊別」がまとめて「豊別」と描かれていました。戦後のどこかのタイミングで「上豊別」と「下豊別」に分割された、ということみたいですね。
現在の「上豊別」「下豊別」集落の西には「炭焼の沢川」という声問川の西支流が流れています。「下豊別」の北には「声問川」が流れているのは前述の通りです。
永田地名解には次のように記されていました。
Toi makun pet トイ マクン ペッ 泥水ノ奥川
chi-e-toy で「珪藻土」を意味しますが、toy 単独であれば「土」を意味します(chi-e- が略されて toy となった場合もありますが)。なお、他にも「畑」だったり「墓」だったり「原っぱ」を意味する場合もあるようです。
戊午日誌「西部古以登以誌」にも次のように記されていました。
また並びて
トイマクンベツ
同じく左り方相応の河也。此処にて両岸高く成依て爰 にて止宿す。其名義は赤土平有るより号しとかや。是迄凡川口より二里とも思はるなり。
「また並びて」とありますが、直前に記されていたのが他ならぬ(?)「ウヘウタラ」でした。「同じく左り方相応の河」とあるのは、「本流から見て左側の大きな支流」と読めますので、どうやら現在の「炭焼の沢川」が本流で、「声問川」(幕別川)は支流の「トイマクンベツ」と認識されていた可能性がありそうです。
tuyma で「遠い」を意味するので、その可能性も考えてみたのですが、誰もが toy で「土」あるいは「赤土」だとするので、やはり toy-mak-un-pet で「土・奥・そこにある・川」と考えるべきでしょうか。mak-un-pet が「幕別川」(現在は「声問川」)を意味するので、toy-{mak-un-pet} で「土・{幕別川}」と表記すべきかもしれません。
「トイマクンベツ」は「支流」として認識されていますが、「──マクンベツ」と呼ばれている時点で本流の「亜流」という扱いでもあるので、限りなく本流に近い「大物の支流」と考えて良いのかもしれません。現在は「本流」として扱われているのは前述のとおりです。
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