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糠真布川(ぬかまっぷ──)
斜里町峰浜の北東を流れる川で、国道 334 号は「糠真布橋」でこの川を渡っています。扇状地のように見えますが、河口のあたりは標高 20 m 以上の台地になっていて、結果的にちょっとした岬のような地形になっています。これは糠真布川によって形成された土地が沿岸流に削られた……ということでしょうか。
「東西蝦夷山川地理取調図」には何故かそれらしき川が描かれていませんが、戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。
また石原の処十七八丁過て
ノツカマフ
小川有。小石原。本名ノツカヲマフと云よし。此岬第一番に出たるによつての由也。又一説には第一番手前の岬なるによつてとも云り。
永田地名解には次のように記されていました。
Notkamap ノッカ マㇷ゚ 岬上
いかにも永田地名解らしいざっくりした解ですね。not-ka-oma-p で「岬・上・そこにある・もの(川)」と見て良さそうでしょうか。
これで決まりか……と思ったのですが、「斜里郡内アイヌ語地名解」には異なる解が記されていました。
ノッカマㇷ゚(nup-ka-oma-p 野・の上・にある・川)
えっ。ということで山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみたところ……
斜里町史地名解は「ヌㇷ゚・カ・オマ・ㇷ゚ 野の・上に・ある・川」と書いた。ヌㇷ゚カ(nupka)をただ野と訳した方が実際的か。
えっ、えっ。nupka-oma-p で「原野・上・そこにある・もの(川)」ではないかと言うのですね?
改めて考え直してみたのですが、明治時代の地形図にはいずれも「ノッカマㇷ゚」とあり、nupka では無さそうに見えます。知里さんが何故永田地名解の not-ka 説を捨てたのかは理由が不明ですが、地形と記録からは not-ka-oma-p と考えるのが自然に思えます。
なお not-ka は「仕掛け弓の触り糸」という意味もあるとのこと。エゾシカなどの猟場だったと解釈することも一応は可能ですが、そういった記録は見当たらないので、今回は無視して良いかと思っています。
知布泊(ちっぷどまり)
糠真布川の北西を流れる「オライネコタン川」の河口付近の地名で、集落と漁港があります。この地名も「東西蝦夷山川地理取調図」には見当たらない上に、永田地名解にもそれらしき解が見当たりません(「ポロ トマリ」は知布泊の南西あたりの地名のようです)。
幸いなことに「斜里郡内アイヌ語地名解」に記載がありました。
チㇷ゚トマリ(chip-tomari 舟・泊)
あー。chip-tomari で「舟・泊地」と考えて良さそうですね。地形を見た限り「天然の良港」という感じでは無さそうですが、オライネコタン川と糠真布川の間は少し海岸線がくぼんでいるので、沿岸流の影響が比較的少ないのかもしれません。
オライネコタン川
漁港のある知布泊の北で海に注ぐ川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲライ子コタン」と描かれていて、戊午日誌「西部志礼登古誌」にも「ヲライ子コタン」と記されています。
永田地名解には次のように記されていました。
Oraune kotan オラウネ コタン 谷村 「ラウネ」ハ深キノ意ニシテ兩岸高ク底深キヲ云フ
「ライネ」とは何だろう……と思っていたのですが、rawne だったのですね。オライネコタン川は糠真布川などと比べると随分と「深い谷」を刻んでいるので、それを指した川名……ということでしょう。
「斜里郡内アイヌ語地名解」には、この川名についてもう少し掘り下げた解釈が記されていました。
オライネコタン 詳しく云えばオラウネナイコタン(orawnenay-kotan オライウネナイ・村落)。オラウネ(深い),ナイ(谷川)。
ふむふむ。rawne ではなくて orawne なのですね。orawne も「深い」を意味するようですが、o-rawne で「尻・深い」となり、「(入れ物が)深い」と解釈できるとのこと。o-rawne-nay を「河口・深い・川」と読み解くことも可能かも知れませんが、「河口が深い」というのはどうにも変な感じがするので、やはり orawne-nay で「深い・川」と解釈するほうが適切っぽいですね。
「オライネコタン」は orawne-nay にある kotan と考えられるので、orawne(-nay)-kotan で「深い(・川)・村落」と言ったところでしょうか。
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