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北海道のアイヌ語地名 (955) 「エエイシレド岬・イダシュベツ川・イロイロ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

エエイシレド岬

e-ey-siretu
頭・とがった・岬
(典拠あり、類型あり)

知床五湖の北に位置する岬の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「テシレト」という名前の岬が描かれていますが、「エエイシレド」とは随分と違いがあるのが気になるところです。

「テシレト」は「ヲシレト」?

戊午日誌「西部志礼登古誌」には次のように記されていました。

しばし過て
     ヲシレト
是恐らくは余が浪の音にて聞誤りにて、後聞にウエンシレトと云り。是第四番の岬にてヲシユンクシエンルンと対峙して一湾をなす。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.59 より引用)

ふむふむ。どうやら「テシレト」は「ヲシレト」の誤字のようで、しかも「ヲシレト」は「多分自分の聞き間違い」で本当は「ウエンシレト」らしい……とのこと。誤りを素直に認める姿勢は素晴らしいですよね。

また一説にヲシレトは汐早きによつて号ると云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.59 より引用)※ 原文ママ

おや、これはどう解釈すれば……?

「テシレト」は「エエイシレト゚」の間違い?

永田地名解には次のように記されていました。

Eei shiretu   エエイ シレト゚   尖岬 「エエイ」ハ尖リタルノ義日高膽振國「アイヌ」ガ「エエン」ト云フニ同ジ「ウエン」ヲ「ウエイ」ト云ヒ「ポン」ヲ「ポイ」ト云フガ如シ、松浦日誌ニ「テシレト」トアリテ沙急ナル岬ト説キタルハ甚ダ誤ル

ドヤ顔の永田さんが登場ですが、内容は割とマトモな感じがします(「汐」が「沙」に化けているような気がしますが、そこはスルーの方向で)。

e-en-{sir-etu} で「頭・とがった・{岬}」ですが、s の前に来た ny に変化するため、e-ey-siretu で「エエイシレトゥ」となる、ということですね。wen-wey- になったり pon-poy- になるのも同じ考え方です。

ちなみに「岬」を意味する sir-etu は「大地・鼻」に分解できるとのこと。

「ウェイシレト゚」の別名が「エエイシレト゚」?

永田方正は松浦武四郎の記録を「甚だ誤る(ドヤ)」としていましたが、「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 ウェイ・シレト゚(wey-siretu) 「けわしい・岬」の義。或は「エエイ・シレト゚」(eey-siretu) 「尖つている・岬」であるともいう。

意外なことに「ウェイシレト゚」を正として両論併記していました。明治時代の地形図などを見た限りでは何れも「エエイシレト゚」となっていただけに、これは意外と言うしか無いような……。

「とんがり岬」

「午手控」には次のような注釈が追記されていました。

 エエイシレト岬。ウエンシリエト 悪い岬(この岬を境に潮流が変わるので)。エエイシリエト 尖っている岬。の二説があるが「尖り岬」が採られている
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 五」北海道出版企画センター p.290 より引用)

ここまで出てきた説が綺麗に整理されていますね。wey-siretu については「険しい岬」と解釈できますが、潮の流れが変化することに注意が必要な「悪い岬」だったのでは……とのことですね。これは戊午日誌の「汐早き」説をうまく回収した解釈とも言えそうです。

この wey-siretu の別名が e-en-siretu ですが、より具体的に地理的形状を言い表している e-en-siretu が多く使われるようになり現在に至る……ということでしょうか。

イダシュベツ川

etaspe-un-i
トド・居る・ところ
(典拠あり、類型あり)

知床五湖の北東を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「イタシヘウニ」という地名?が描かれています。

明治時代の地形図にも「イタㇱュペウニ」とありますが、陸軍図の時点で「イタシュベツ川」に名前が微妙に変化してしまったようです。そして「ㇱュ」という謎な表記があったということは、永田地名解にも記載があったということで……

Itashbe uni   イタㇱュベ ウニ   海馬居ル處 今ハ沖ニ居リテ此處ニ來ラズ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解国書刊行会 p.491 より引用)

どうやら etaspe で「トド」を意味するとのこと。etaspe-un-i で「トド・居る・ところ」となるようですね。etaspe-un-i の近くを流れる川を etaspe-pet と呼ぶようになり、「エタシュペペッ」が「イダシュベツ」に化けた……と言ったところでしょうか。

なお「斜里郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

 エタㇱペ・ワタラ(etaspe-watara) 「海馬・岩」の義。「エタㇱペウニ」(etaspe-un-i)「海馬・いる・所」の義。

どうやら etaspe-us-ietaspe-wátara と呼ぶ流儀もあったようですね。wátara は「岩」を意味する雅語とのことで、「アイヌ語沙流方言辞典」によると「角の立った大きなゴロゴロした石」とのこと。

なお余談ですが、知床五湖の「四湖」の北、エエイシレド岬の東に「板止別」という三等三角点があります(標高 234.5 m)。やはりと言うべきか、これは「イタシベツ」と読むとのことです。

イロイロ川

kikir-o-pet?
虫・多くいる・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

イダシュベツ川とカムイワッカ川の間を流れる川で、上流部に道道 93 号「知床公園線」の「霧双橋むそうばし」があります。

比較的小さな川だからか、明治時代の地形図や陸軍図には川名が見当たりません。「東西蝦夷山川地理取調図」には「イタシヘウニ」(=イダシュベツ川)と「カモイワツカ」(=カムイワッカ川)の間に「ヲキシカルシヘ」と「エヤラムイ」という地名?が描かれていました。

斜里郡アイヌ語地名解」には、「イタシュベツ川」と「カムイワッカ川」の間について、次のように記されていました。前後関係を把握するため、ちょいと長めに引用します。

 エタㇱペ・ワタラ(etaspe-watara) 「海馬・岩」の義。「エタㇱペウニ」(etaspe-un-i)「海馬・いる・所」の義。
 ペセパキpes-epaki) ぺㇱ(絶壁),エパキ(突端)。「絶壁の突端」の義。
 キキロペッ(kikir-o-pet) 「虫・群居する・川」。
 カムイ・ウパㇱ(kamuy-upas) 「神・雪」の義。ここに氷穴があつて, そこには年中雪があり,そこから夏でも雪を取つたという。
 イヤッテ・モイ(iyatte-moy) イヤッテ(物を舟から陸揚げする),モイ(湾)。
 カムイ・ワッカ(kamuy-wakka) 「魔の水」。ここに滝があり,その水は毒気を含み飲用にならないのでこの名がある。
知里真志保知里真志保著作集 3『斜里郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.265 より引用)※ 原文ママ

ではここで問題です。この中で「イロイロ川」はどれでしょう?

イロイロあるように見えますが(ぉぃ)、よーく見ると「川」は一つしかありません。どうやら「イロイロ川」の正体は「キキロペッ」のようですね。

こんな調子で「キキロペッ」=「イロイロ川」と推定していいのか……と思われるかもしれませんが、幸いなことに「北海道地名誌」にも次のように記されていました。

 イロイロ川 カムイワッカ川より斜里寄りの小川。アイヌ語「キキロペッ」(虫の多い川)の訛かと思われるが不明。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.456 より引用)

もしかしたら同じやり方で推定しただけかもしれませんが……(汗)。とりあえず「イロイロ川」は kikir-o-pet で「虫・多くいる・川」と見て良い……でしょうか?(誰に聞いている

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