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春の道東・船と鉄路とバスの旅 2017 (123) 「トイトッキ浜トーチカ」

「トイトッキ浜」にやってきました。鳥居と社殿?の後ろに見える巨大なコンクリートの塊が、もしかして御神体……?

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 5 月時点のものです。

このコンクリートの塊ですが、太平洋戦争中に軍が建設したトーチカの跡とのこと。南西側に小さな穴が見えますが、ここから銃を発射する想定だったのでしょうか……? ちょっと不思議なのが、海は南東にあるので、舟艇で上陸した歩兵は南東からやってくる筈なのですが……

南西側の開口部

南西側の開口部です。大きさの目安となるものが無いので分かりづらいですが、幅は 1.2 m、高さは 50 cm 程度でしょうか……?

この開口部は人の出入りのためのものではなく、あくまで銃を発射するための「銃眼」なのかもしれません。

開口部は中に向かってどんどんと狭くなっています。さすがにここから人の出入りは難しいのでしょうね。日本人はアングロサクソンと比べると体格が小柄なので、地下壕やトーチカのサイズを最小限にする上で有利だった、といった話も聞いたことがあるのですが……。

奥の壁もコンクリート製のようですが、縦に柱のような骨組み?が見えます。めちゃくちゃ太い鋼鉄の柱、でしょうか?

陸側の謎の出っ張り

トーチカの北西側(陸側)は、なんだか謎な形をしています。

この出っ張りは何なんでしょう……? 南東の海に向かって大砲が設置されていて、その長い砲身を覆うための出っ張り、とかでしょうか……?

北西側にも開口部が見えます。ここが人の出入り口だったのかもしれません。

北西側の開口部から中を覗いてみました。こちらもコンクリートの壁が見えますが……あ。柱の下部が消え失せてしまっています。どうやらあの柱は鋼鉄ではなく木で、下部が腐食してしまったということかもしれません。

トーチカは、理屈の上では艦砲射撃にも耐えられるだけの強靭性が求められるので、コンクリートに鋼鉄の骨組みを組み合わせることで剛性を極限まで高めた……のかと思ったのですが、木だったんですね……。コンクリートを流し込む際の型枠を支えるのに用いた柱だったんでしょうか。

トーチカと鳥居と太平洋

トーチカを北から見てみます。何故トーチカ跡が神社になっているんでしょうね……?

トーチカと太平洋のツーショットです。トーチカは、この海を敵軍の上陸用舟艇が埋め尽くした際に最大限の抵抗を試みるためのものだった……ということなんでしょうね。

北東側の開口部

北東側からトーチカを眺めます。

青色のビニールシートっぽいものが見えますが……

どうやらここも銃眼だったんでしょうか。銃眼の中を覗いてみると、さらに奥に続いてそうな「へ」の字型の空間も見えますが……

……あ。空間ではなくて、単に砂が溜まっていただけだったんですね。黒く見えるのは水分を含んでいた、とかでしょうか。

トイトッキ浜トーチカの謎

このトーチカの最大の謎が、海側に開口部が見当たらないところです。ただ、よく見ると開口部をコンクリートで埋めたようにも見えます。やはり本来は大砲が設置されていて、敗戦後に日本軍の武装解除が行われた際に大砲が取り外され、トーチカとして再利用できないように穴を埋めた……ということだったのでしょうか。

ただ、実際には連合国軍が北海道に上陸することは無かったので、大砲を設置するための穴だけが準備されていた……という可能性もありそうですね。

あと、手前に漁具らしいものが放置されているのですが、これは一体……?

【おことわり】本記事内の写真は以下の目的のために Adobe Firefly の生成 AI による生成塗りつぶしを使用しているものがあります:ダストノイズ除去

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