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北海道のアイヌ語地名 (1115) 「オクルシベ川・ボッケ・シアンヌ」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
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オクルシベ川

o-kur-us-pe?
河口・影・ある・もの
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

阿寒岳の南、国道 241 号が国道 240 号に接続する交叉点から(国道 240 号を)2.5 km ほど南に進んだところで阿寒川に西から合流する支流……とされる川です。国土数値情報では「オクルシベ川」がこの位置を流れていることになっていますが、陸軍図では現在「清流川」と呼ばれる川が「オクルシベ川」と描かれています。

現在も「阿寒町オクルシュベ」という地名が現存しているほか、道道 1093 号「阿寒公園鶴居線」の「鶴見峠」の北東には「送蘂」で「オクルシベ」と読ませる三等三角点も存在します(標高 739.3 m)。いずれも国土数値情報の「オクルシベ川」よりも「清流川」のほうが近いので、国土数値情報の「オクルシベ川」の位置には誤りがある……と考えたいところです。

「清流川」のあたりは阿寒湖に向かうメインルートから若干外れていたため、松浦武四郎の記録にはそれらしい川名が見当たりません。ただ幸いなことに、永田地名解 (1891) には次のように記されていました。

Okur'ushbe   オクルシュ ベ   黑川尻

また、鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

 永田地名解は「オクル・シュベ Okur-ushbe 黒川尻」と書いた。オ・クルニ・ウㇱ・ペ「o-kuruni-us-pe 川尻に・ヤマナラシ(幹)・群生する・もの(川)」の意で、ドロノキにもこの名がついている。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.187 より引用)

ふむふむ。知里さんの「植物編」(1976) を見てみたのですが、美幌で「ドロノキ」を意味する kuruni屈斜路では petorun-kuruni と呼ばれ、単に kuruni と呼んだ場合は「ヤマナラシ」を意味するとのこと。

一見「なるほどねー」と思わせる解ですが、良く見てみると川の名前は「オクルシュベ」で、o-kuruni-us-pe はどこから ni が湧いてきたのか、不自然な感じもあります。素直に o-kur-us-pe で「河口・影・ある・もの」と考えて良いのではないか、と思うのですが……。

ボッケ

pokke
熱泉
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

阿寒湖の南部に、北に向かって突き出た半島があり、地理院地図には半島の北端あたりに「ボッケ」という噴気口?が描かれています。「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) にも「ホツケイ」という地名が描かれていました。

戊午日誌 (1859-1863) 「安加武留宇智之誌」には次のように記されていました。

 しばし岸に添て行、凡十七八丁にて
     ボツケイ
 此処椴山の麓土中より火燋出るが故に号。ボツケイは火の元と云る事を云り。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.296-297 より引用)

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 ポッケ
 阿寒湖市街に近い湖畔の熱泥池。ポッケはポㇰケ・イで煮えたぎる所の意、熱泉のこと。

更科さんは pokke-i で「煮えたぎる所」としましたが、知里さんの「地名アイヌ語小辞典」(1956) には次のように記されていました。

pokke ぽㇰケ 【H 北】熱泉。[<popke-i(煮えたぎる・所)]
知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.97 より引用)

ほぼ誤差の範囲ですが、知里さんの解に従うと pokke だけで「熱泉」と解釈できそうな感じですね。半濁音が濁音に化けるのは良くあることで、特に注意する必要は無さそうです。

シアンヌ

si-an-nu?
本当に・山向こうの・湯
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

現在は阿寒湖の流出部、「太郎湖」や「次郎湖」のあるあたりの地名という扱いのようですが、「北海道実測切図」(1895) には現在の「阿寒町阿寒湖温泉(一)」のあたりの地名として描かれています。これも本来は「阿寒湖温泉」のあたりの地名だったようですね。

鎌田正信さんの「道東地方のアイヌ語地名」(1995) には次のように記されていました。

シアンヌ
 阿寒湖市街地の東側の入江をさしている。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.254 より引用)

ほぼ異論は無いのですが、重箱の隅をつつくならば、「シアンヌ」は入江の名前なのか、それとも入江の傍の陸地のことなのか……という点に注意が必要でしょうか(自分の見立てでは陸地の地名だと思うのですが)。

 松浦安加武留宇智之誌はヌーとして「ヌーは温泉の事。和語ユーの転じたるなり。」と書いた。シ・アウン・ヌ「si-aun-nu 大きく・入りこんでいる(所の)・温泉」の意で、そのとおり湾の最も内側に温泉が湧出しているのであった。
(鎌田正信「道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】」私家版 p.254 より引用)

んー。「ヌーは温泉の事」というのは知里さんの「小辞典」にも言及があるので間違いないと思うのですが、aun じゃないかという説には若干首を傾げたくなります。

an-rur という語が知里さんの「小辞典」に採録されているので、ちょっと引用してみます。

an-rur,-i  あンルㇽ 反対側の海にのぞむ地方;山向うの海辺の地。──太平洋岸のアイヌ日本海岸を,日本海岸のアイヌは太平洋岸を,それぞれ「あンルㇽ」と呼ぶ。イシカリ国ユウノリ郡にアンヌロ或はアヌルという地名があり,もと「あンルㇽ」で,トカチ地方のアイヌがそう呼んだのだといい,逆にトカチの古名を「し・アンルㇽ」si-anrur(ずうっと山向うの海辺の地)というが,それはイシカリ地方のアイヌがそう呼んだのだという(地名解71)。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.6 より引用)

「シアンヌ」も、これと似たような感じで、si-an-nu で「本当に・山向こうの・湯」と考えられないかなぁ……と。どこから見て「本当に山向こう」なのかは想像を逞しくするしか無いのですが、たとえば川湯温泉から見た場合、雄阿寒岳の外輪山を越える必要があるので、「本当に山向こう」と言えないかなー、と。

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