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北海道のアイヌ語地名 (1128) 「刺牛・伏内・シラリカップ川・白糠」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

刺牛(さしうし)

sa-kus-us-i?
浜・通行する・いつもする・ところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

白糠駅の東、JR 根室本線と国道が並んで通過する海沿いの集落の地名です。更科源蔵さんの『アイヌ語地名解』(1982) には次のように記されていました。

 刺牛(さしうし)
 白糠海岸の部落名。刺臼とも書く。アイヌ語サシ・ウシ(昆布の多いところ)からでたもの。白糠川からこの辺にかけて岩礁があり、昆布がとれたからである。

sas-us-i で「昆布・多くある・ところ」ではないかとのこと。現在はどうやらこの解釈が定説となっているように見受けられます。確かに『北海道実測切図』(1895) にも「サスウシ」とあり、この解釈を裏付けるものです。

ただ『東西蝦夷山川地理取調図』(1859) にはそれらしい地名が描かれておらず、『東蝦夷日誌』(1863-1867) (1863-1867) には次のように記されていました。

サクシヽ(小川)夷家有、昆布場也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.299-300 より引用)

表にまとめてしまったほうが早そうですね。

加賀家文書 サクスヽ サキ・シュヱ 鯨漁業の事
三航蝦夷日誌 (1850) サクジヽ 此処道より左りに沼有
竹四郎廻浦日記 (1856) サシユヽ -
辰手控 (1856) サシユシユ -
蝦夷日誌 (1863-1867) サクシヽ (小川)夷家有、昆布場也
永田地名解 (1891) - -
北海道実測切図 (1895) サスウシ -
陸軍図 刺臼 -
地理院地図 刺牛 -

これを見る限り、明治以前は「サク──」という認識のほうが強かったように思われるのですね。ここで気になるのが加賀家文書『クスリ地名解』(1832) のこの記述です。

シャクシヽヱト サキ・シュイ 鯨漁・する崎
  シラヌカの内に有しシャクシヽヱト同断。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.263 より引用)

これは尻羽岬釧路町)の近くの地名の記録なのですが、「シラヌカの内に有しシャクシヽヱト同断」とあります。「シラヌカの内に有しシャクシヽヱト」は「刺牛」のあたりだと思われるのですが、「シャクシヽ」とあるのですね。

白糠町刺牛については、『クスリ地名解』は「サクスヽ」で「鯨漁」としています。「サクスヽ」をどう解釈すると「鯨漁」となるのか、ちょっと理解できていないのですが、仮に sa-kus-us-i で「浜・通行する・いつもする・ところ」だったらどうかな、と。

「昆布」を意味する語としては、sas の他にも、和語との関係が考えられる kompu もあります。道東でも和人との接触が早かった沿岸部では「昆布森」や「昆布盛」などの地名が散見されるのに、なぜ「刺牛」では sas なのか……という点が以前から疑問だったのですが、もともと sa-kus-us-i という地名があり、たまたま昆布が穫れたことから sas-us-i に変化(進化?)したのではないか……と思えてきました。

伏内(ふしない)

pus-nay?
破れる・川
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

刺牛の北に位置する山の頂上付近に「伏内」という名前の二等三角点(標高 134.9 m)があります。『北海道実測切図』(1895) には、「サスウシ」(=刺牛)と「シラリカㇷ゚」(=シラリカップ川)の間に「プシナイ」と描かれていました。「ナイ」なので、本来は川の名前だと考えられそうですね。

鎌田正信さんの『道東地方のアイヌ語地名』(1995) には次のように記されていました。

 プ・ウㇱ・ナィ(pu-us-nay 倉・そこにある・川) の意である。狩猟や海産物をとったものを、貯えておく倉がその沢に、造られていたのであった。
(鎌田正信『道東地方のアイヌ語地名【国有林とその周辺】』私家版 p.211 より引用)

『東蝦夷日誌』(1863-1867) (1863-1867) には更に意外な解が記されていました。

フシナイ(小川)本名フシユウナイと云。〔太〕古神が畑を作り初めし處と云。フシウは畑也。此邊の土地何時の世に畑を作りし物か。そうじて平野一面に畑跡有。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編『新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.299 より引用)

これはまた……良くわからない解が……。

加賀家文書『クスリ地名解』(1832) には次のように記されていました。

フシナヱ ブシ・ナヰ やぶれる・沢
  此所小川に候得共尻留る事なきを名附由。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.256 より引用)

なんか、一番古い解が一番マトモな感じが……。鎌田さんが何を根拠に pu-us-nay と断定したのかが謎ですが、ここまで見た限りでは『クスリ地名解』の pus-nay で「破れる・川」と見るべきではないかと思われます。

地形を見た限りでは日頃は水量の無さそうな川で、雨が降ったあとに一気に海に注ぐ川のように思われるので、普段は河口が塞がっていた川なのではないでしょうか。

シラリカップ川・白糠(しらぬか)

sirar-ukaup?
岩・岩石が重畳するところ
(? = 記録はあるが疑問点あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

「石炭岬」のある白糠町岬の東を流れる川です。『北海道実測切図』(1895) には「シラリカㇷ゚」とあり、陸軍図には「白糠川」と描かれていました。

満潮が逆流する川?

上原熊次郎の『蝦夷地名考幷里程記』(1824) には次のように記されていました。

シラヌカ                會所泊 ヲタノシケ江三里半程
  夷語シラリカなり。シラリイカの略語にて、則、シラリとは潮の事、イカとは越すと申事にて、満汐川へ入る故此名あり。
(上原熊次郎『蝦夷地名考幷里程記』草風館『アイヌ語地名資料集成』p.62 より引用)

「シラリとは潮の事」とありますが、知里さんによると sirar は「岩」あるいは「平磯」であって「潮」では無いとのこと。sirar-ika であれば「平磯・越える」となるので、結果的に「満潮」という現象を意味しているようにも思えます。

永田地名解 (1891) にも次のように記されていました。

Sirarikap   シラリカㇷ゚   潮溢ル處 舊地名解ニ云汐滿ルトキハ此川及ヒ「ウワッテ」川マデ一面ニ潮溢ル故ニ名ク○白糠村

此処の「小川」?

ただ、加賀家文書『クスリ地名解』(1832) では若干トーンダウンが見られます。

シラヌカ シラリ・カシケ 汐・上
  此所の小川塩込に相成候ても、真水は別に流見得るを斯名附よし。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.256 より引用)

sirar-kasike で「潮・上」となるでしょうか。sirar には「潮」の意味はなく「岩」や「平磯」だ……という指摘を先ほども記したばかりですが、この説明を見る限り、やはり sirar は「潮」だと考えられていたことが良くわかりますね。

岬の傍の大岩?

山田秀三さんによると、永田地名解の国郡の項には次のように記されているとのこと。

白糠シラヌカ郡 舊地名解云白糠シラヌカハ「シラリカ」ニテ潮越ノ義、滿潮ノ時此處ノ川及ヒ「ウワッテ」川マテ潮溢レ入ルヲ以テ此名アリト此説不可ナルニアラズ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.22-23 より引用)

ここまでは永田地名解の本文とほぼ同じですね。ただ続きがあって……

然レドモ當地ノ「アイヌ」ハ「シラルカウ」ナリト云フ蝦夷管窺天明八年作ニ「シラルカウ」トアルハ從フベシ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.23 より引用)

ふむふむ。

「シラルカウ」(Shirar'ukau)ハ「シララウカウ」(Shiraraukau)ノ急言直譯スレバ岩石縫合ノ義岬端ノ大岩ニ名ク或書ニ「シラヌカ」ハ「シラリカ」ニテ平磯ノ義トアルハ非ナリ
(永田方正『北海道蝦夷語地名解』国書刊行会 p.23 より引用)

どうやら sirar-ika ではなく sirar-ukaw で「岩・重なりあう」ではないかとのこと。sirar-ika であれば「シラカ」となりそうなものなので、どこから「ヌ」が出てきたのか気になっていたのですが、sirar-ukaw であれば「シラカ」になるので、疑問点がひとつ解消された感もあります。

実はもう一つ疑問を抱いていました。永田地名解が本文で言うように「茶路川から和天別川にかけて潮が遡上する」のであれば、何も石炭岬の傍の短い川(=シラリカップ川)の名前にすることは無いじゃないか……と。ただ石炭岬のあたりに sirar-ukaw があり、sirar-ukaup と呼んだのが近くを流れる川に転用された……と考えると、この疑問はクリアできそうな気がします(ukaup の前にわざわざ sirar を被せるところが、ちょっとくどい感じもありますが)。

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