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北海道・東北の旅 2010/夏 番外編「階段国道」成立の歴史

階段国道」成立の歴史

そういえば、竜飛岬の通称「階段国道」がどのように成立したかについて、記事にするはずが……忘れてました(←)。

なぜか手元に、松波成行さんの「国道の謎」という本があって、その中に「階段国道」が思いっきり取り上げられているので、今回はこちらを底本にしましょう。

「地図を見ててきとーに認定した」説は本当か?

まず、「階段国道」成立の理由として、随分と昔からまことしやかに語られる通説があります。これは「国道の謎」にも次のように記されています。

 その階段が国道たる謎については幾つかの憶測がなされ、一種の都市伝説的な様相を帯びています。その一例が、「当時の役人が現地の確認もせず、地形図だけを頼りに勝手に線をつなげて国道とした」という類の話です。これらは出現の時期や発信源などはまったく不明で、少なくともインターネットが普及する以前から口の端に上っていました。
(松波成行「国道の謎」祥伝社 p.44-45 より引用)

似たような話を聞かれたことのある方も多いかと思いますが、結論から言えば、半分は正解で半分は不正解、といったところでしょうか。

なぜ「民家の軒先」が「主要地方道」に?

国道 339 号線が制定されたのは、昭和 50 年のことなのだそうです。そして、それは「主要地方道」の昇格、という形でなされました。従って、なぜ「民家の軒先の道」が「主要地方道」として認定されていたかというところを突き詰めれば、答が出そうな感じです。

現在では「竜泊ライン」という愛称を持つ、国道 339 号の竜飛岬から小泊村(現在の中泊町小泊……だと思います)への道路は、県道に指定された時点では獣道と大差ない「未開通状態」の道路だったそうです。現在でも、国道に指定されていながら、道路そのものがずっと開通しないままの場合もある(例:国道 274 号線など)ので、このこと自体は特に奇異なことではありません。

「竜泊ライン」は陸上自衛隊が切り開いた

話が少々脱線しますが、「竜泊ライン」の、いわゆる「階段国道」を除く部分は、陸上自衛隊の手によって工事が行われ、現在では快適な 2 車線道路となっています。一方で「階段国道」の部分は工事が行われることなく、取り残された形となってしまいます。なぜこのようなことになってしまったのでしょうか?

理由は簡単で、既に代替ルートが確保されていたから、ということのようです。竜飛岬のあたりは、現在でも自衛隊の施設があるようですが、戦前は津軽海峡防衛の要として、(それほど大規模ではなかったものの)要塞として取り扱われていたのだそうです。現在でも「階段国道」の迂回路として使用されている道路は、当時の「軍道」のなれの果てなのだとか。当然ながら、一般人の立入は許可されなかった、ということのようです。

あじさいロード」が国道に昇格しない理由

このあたりは、ご存じの通り、青函トンネルの工事が大々的に行われたところです。トンネル工事では大量の土石の運搬が発生するため、それらを運ぶために大量のダンプカーが行き交います。既存の国道 339 号線だけでは道路の容量がパンクしてしまうため、別に工事車両の通行を想定した道路が建設され、今ではその道路が県道に指定されています(「あじさいロード」という愛称もあるようです)。

この「あじさいロード」を国道 339 号線に昇格させる……というアイディアもあったのだそうです。現在の所、このアイディアは実現に至っていないのですが、これはどうやら「あじさいロードを国道に昇格させたら、『階段国道』が消滅してしまう」という判断が働いたのではないか……と見られているのだとか。

そう、この写真を見てもおわかりの通り、もはや「階段国道」は立派な「観光資源」として、当地でも認知されている、ということのようです。何がどう転ぶかわからないものですね(笑)。

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