玉若酢命神社
隠岐の島町の「玉若酢命神社」にて、「永遠の樹齢 800 歳」(← 気に入ったらしい)である「八百杉」に圧倒された後は、神社の拝殿や本殿を見て回ります。
「文化財案内」ということで、細々と説明がなされています。案内板の真ん中には簡単な見取り図もあるので、拡大しておきましょう。
正面に拝殿があり、その後ろに本殿が控える、ごくごく一般的な形態の神社です。ただ、よーく見ると、左手に「旧拝殿」なる記載があります。実際にこの場所にかつての拝殿があるのですが、S さんに聞いてみたところでは「これは移設したもの」とのことでした。なぜわざわざ移設してまで遺したのかは……、何故なんでしょう。その場で S さんに伺ったような気もするのですが……。
隠岐国駅鈴
あ、そうそう。ちょうどいい具合に「隠岐国駅鈴」の文字が見えるので、先にこちらの話題から。
駅鈴(えきれい)は、日本の古代律令時代に、官吏の公務出張の際に、朝廷より支給された鈴である。
はい。何やら聞いたことがあるような気があるのですが、「駅鈴」とはどのような効能があったのでしょう。
646年(大化2年)1月1日、孝徳天皇によって発せられた改新の詔による、駅馬・伝馬の制度の設置に伴って造られたと考えられており、官吏は駅において、この鈴を鳴らして駅子(人足)と駅馬または駅舟を徴発させた。
ということで、これまた随分と強力なアイテムだったようです。スターアライアンス・プラチナメンバーもびっくりですね。で、その駅鈴なんですが……
現在残っている実物は、国の重要文化財に指定されている隠岐国駅鈴2口(幅約5.5 cm、奥行約5.0 cm、高さ約6.5 cm)のみである。この駅鈴は島根県隠岐の島町の玉若酢命神社に隣接する億岐家宝物館に保管・展示され、同神社宮司で隠岐国造の末裔である億岐家によって管理されている。
ということなのだとか。あ、最後に
ただし、隠岐国駅鈴の真贋はいまだ諸説あって、はっきりしていない。
とも書いてあるんですけどね。とりあえず制作された年代だけでも C14 あたりで測定できないのかなー、などと思ったりもするのですが。
この屋根はいつか見た屋根
さて。拝殿の脇から本殿を眺めて見ます。
なんとなく既視感をおぼえて首を傾げている私を見て、S さんが笑みを浮かべながら「この形、どこかで見たことがありませんか?」と。「もしかして、出雲大社ですか?」と聞いてみたところ、「そうです」と。
実際には、この形状は「隠岐造」という隠岐オリジナルの形状のようです。
隠岐は出雲のパラレルワールド?
玉若酢命神社の宮司を代々務める「億岐家」の先祖は「大国主命」だと伝えられています。そしてどことなく「出雲大社」を思わせる外見……。思わず S さんに「この神社も『四拍』で拝礼するのですか?」と確認してしまいましたが、そのような風習は無いとのこと。つまり、少なくとも「玉若酢命神社」と「出雲大社」は全くの別系列ということになります。
「出雲大社」の祭神はご存じの通り「大国主大神」ですが、「玉若酢命神社」の祭神は(大国主ではなく)「玉若酢命」という謎の神様です。玉若酢命神社の宮司を代々務める「億岐家」は大国主系ですが、出雲大社の宮司は代々天照大神系の「出雲国造家」が務めてきたそうですから、出雲大社と玉若酢命神社はちょうど主客転倒していることになります。つまり、ここは一種の「パラレルワールド」とも言えそうです。
……ちょっと面白そうな気がしませんか?
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International