やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
奮部(ふんべ)
礼文島南部の地名です。「フンベ」と言えば「クジラ」の意味ですが、一体どのような由来があるのでしょうか。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。
フンベとは鯨のことで、昔の生活では鯨は海の大きな穀倉のようなものであった。鯨を争って岩になった話や、砂山をつくり鯨とみせかけて、敵をおびき寄せて全滅させたという、鯨をめぐる伝説が多い。
ふむふむ。確かに、昔は「クジラが浜に上がった!」などということがあれば、よってたかって骨の髄までしゃぶり尽くしていたような印象があります。「海の大きな穀倉」とは、なかなか不思議な表現ですね。
さて、この「奮部」ですが、どうやらもともとの地名は「フンベネフ」だったようです。まるで親愛なるレオニート・ブレジネフのような感じがしますが……(しません)。続きを見てみましょうか。
この地名も古い地図ではフムペネプとなっている。鯨のようなものという意味である。何が鯨のような形をしているか明らかでないが、岬か丘かが鯨の形をしているのだと思う。
はい。humpe-ne-p で「クジラ・のような・もの」となりますね。更科さんも記されている通り、あたりの地形の何かがクジラのような形をしていた、と解釈するのが自然に思えます。
知床(しれとこ)
世界遺産として名高い「知床半島」と同名ですが、実際の地形はかなり異なっているようにも感じられます。さて、これは一体どう考えたら良いのでしょうか?
今回も「アイヌ語地名解」から。
北海道から千島につき出た知床岬、樺太にもあった知床と同じ。シリ・エトㇰで大地の鼻の意。岬をさして名付けた地名である。
ふむふむ。sir-etok で「大地・鼻」だとすれば、確かに知床半島や樺太の北知床半島と同じですね。実際の地形はかなり違うのに、これはどうしたことでしょう……。
ところで、この「知床」は、もともとは「シレトコマナイ」だったと考えられます。「ナイ」ですから、これは川の名前だったものが下略されたと考えられるのですが、さてさて……。続きをどうぞ。
もとここの正式の字名が字シレトコマナイとあるように、岬そのものの地名ではなく、シレトㇰ・オマ・ナイという川の名の下部を切りすてて、知床と当て字をしたものである。意味は岬にある川ということで、この知床といわれるところにある唯一の川に命名したものなのである。
うーん、これは……。確証は無いのですが、なんか主客転倒してるんじゃないかなー、と思ったりもします。「知床」の集落を流れる小河川、正式な名前はわからないのですが、この川は、海から遡っていくと途中で二手に分かれています。そして、その二つの流れの間の地形が、まるで知床半島のような形に見えるのです。ですので、sir-etok-oma-nay は「大地・鼻・そこに入る・川」と解釈できるような気もするのですね。
更科さんは、礼文島の知床も「岬」であると確信されていたようで、次のようにも記されていました。
樺太の知床も、この礼文島も南に向かって突き出ている岬を大地の鼻といい、国土の頭の方向を意味している。
これは良いとして、なおも続きがあります。
そのほかは知床の地名がないようであるが、これはこの地方に地名を残した人達が南から北上したからかとも思われる。
これはなかなか意味深長な一文ですね。どう捉えたらいいのだろう……。
カランナイ岬
「知床」集落の西にあって、礼文島の最南端なのですが、どうみても「岬」とは言えそうに無い地形……です。今回は……残念ながら手元にリファレンスが無さそうなので、ちょいと考えてみましょう。
そうですねぇ……、音からは kar-un-nay かなぁ、と思わせます。kar-un-nay であれば「刈る・そこにある・川」となるのですが、kar はもともと「作る」といった意味もあるので、「作る・そこにある・川」あたりのほうが適切なのかも知れません。何を作るのかという話ですが、場所柄「舟」じゃないかなぁ……と。
もっとも、この解にもおかしなところはあって、例えば kar-un-nay は kar-us-nay のほうがより適切だと考えられるのです(意味は「作る・いつもする・川」)。ちょっと注意しておいた方がいいかもです。
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