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アイヌ語地名の傾向と対策 (157) 「雄忠志内・野塚・湾内」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院電子国土Webシステムから配信されたものである)

雄忠志内(おちゅうしない)

o-chiw-us-nay
河口・波・いつもある・川
(典拠あり、類型あり)

時計で言うと 10 時の方向から 6 時の方向に町域が広がっている利尻富士町ですが、雄忠志内は 1 時の方向でしょうか。それにしても、これだけ「アイヌ語です!」という地名が出てきたのは久しぶりですね。後でご紹介しますが、鴛泊村もアイヌ語地名を大量に「捨てた」過去があるらしく、アイヌ語の音がそのまま残っている地名は珍しいようで……。残念な話です。

さて、雄忠志内では「オチウシナイ川」が海に注いでいます。音からは o-chiw-as-nay で「河口・水脈・立っている・川」、即ち「河口が波立っている川」かなぁと思われるのですが、さてどうでしょうか?

では、例によって例の如く、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

鴛泊から六キロで小学校がある。この部落には現在大空沢というところと、豊漁橋という橋のかかった沢とがあるが、この豊漁橋の架った川が雄忠志内の名の出た小川で、オチュウシナイの川の出口のところに玉石か磐があって、そのために流れが波だっている川をいうのであろうと思われる。

ん、もしかしたら軽い事実誤認があるかもしれません。現在の地形図を見た限りでは、「豊漁橋」の下を流れる川は「豊漁沢川」で、オチウシナイ川はその東隣の川のようです。

オは川尻、チュは波だつ、ウㇱはいつもあるナイは川である。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.208 より引用)

あ……。o-chiw-us-nay で良かったんですね。意味は「河口・波・いつもある・川」で良さそうです。

野塚(のづか)

not-ka
岬・かみ
(典拠あり、類型あり)

雄忠志内の隣で、少し海に飛び出た岬状の台地の地名です。もしかしたら、山から流れ出た溶岩がそのまま台地になったのかも……と思わせるような地形ですね。

……あ、地形の話では無かったんでしたね。ただ、野塚の場合は地形を見れば意味も一目瞭然でして。答合わせということで、更科さんの「──地名解」を見てみましょうか。

海に突き出ている岬を野塚岬といっているが、もとは現在の部落のあたりをノッカといっていたので岬の上の意味である。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.208 より引用)

はい。not-ka で「岬・かみ」ですね。not は「岬」という意味で良く使われますが、もともとは「あご」という意味です。あごと言えば、顔面のなかでひときわ高く押し出している部分なので、それが大地に投影されて「岬」という意味になった、といった感じですね。

湾内(わんない)

riya-us-nay
越冬・いつもする・川
(典拠あり、類型あり)

野塚岬と、鴛泊(おしどまり)のランドマークとも言える「ペシ岬」の間の海は「鴛泊湾」と呼ばれているのですが、その鴛泊湾の南側に位置する集落の地名です。時計で言うとちょうど 12 時の方角です(利尻富士から見て)。

この「湾内」ですが、残念ながらアイヌ語地名ではありません。そのいきさつについて、今回も「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

鴛泊村は昭和十一年に大字を廃止し、字名を改正したために、古いアイヌ名は現在ほんとど使用されていない。
更科源蔵更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.208 より引用)

はい。ちょっと残念な話です。

さて、「湾内」ですが、もともとは「リヤウシナイ」という地名だったのだそうです。riya-us-nay は「越冬・いつもする・川」という意味ですね。ペシ岬と野塚岬に挟まれたこのあたりの海は、比較的穏やかだったのかもしれませんね。

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