Bojan International

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夏の焼尻・天売・道北の旅 2015 (9)「あなたの行き先は」

小平町北部、旧・鬼鹿村の話題です。

あなたの行き先は?

小平町字鬼鹿広富にある道の駅「おびら鰊番屋」を後にして、羽幌に向かって出発です。

道路脇に少しずつ民家が増えてきました。鬼鹿の集落が近づいているようです。

深地層研究所と言えば幌延に「幌延深地層研究センター」がありますが、日本原子力研究機構が管理する施設のため、最終的には使用済み核燃料の保管場所に転用されるんじゃないか……という疑念がどうしてもつきまとう施設でもあります。このあたりにも建設の打診があった、ということなのでしょうか?

鬼鹿の集落にやってきました。鬼鹿村が小平町に併合されたのは 1956 年(昭和 31 年)とのこと。単独の自治体としての存続は厳しかったのかもしれませんが、漁港を中心とした集落には学校や郵便局、消防署などが一通り揃っているように見えます。

何故クビナガリュウ?

鬼鹿の集落を抜けたあたりで、片側交互通行規制に引っかかりました。前方にはクビナガリュウのイラストが描かれた「おびら町」の巨大な看板が見えていますが、どうやら小平蘂川で白亜紀の化石が出るとのこと。なるほど、それでクビナガリュウなんですね。

信号に引っかかったのをいいことに、海側の景色を撮影してみました。いい天気になりましたね!

おたね、おたね、おたねっこ

信号が青になったので、リスタートです。どうやら小種子川にかかる橋を修繕しているようですね。

川の名前は「小種子川」ですが、橋の名前は「御種子橋」です。Otaneko Bridge とありますが、Otaneko は漢字に引きずられた読みのように思えますね(元々は「おたね」だったのではないかと)。

砦・ある・川

目標到着時刻の 48 分前にして、羽幌まで 23 km の時点にやってきました。非常に順調と言えそうです。

「留萌十字街」行きの沿岸バスとすれ違います。

更に北上して、旧・鬼鹿村で最も北に位置する「鬼鹿豊浜」集落にやってきました。ここには「茶俊内川」が流れています。chasi-un-nay で「砦・ある・川」と思われますが、右手に見える山にチャシ(砦)があったと言った感じでしょうか。

イメージと現実のギャップ

茶俊内橋から更に 0.5 km ほど北上したところに「境橋」があります。ここから先は苫前町です。そしてここから先は羽幌道路事務所の管内になる旨が記されています。こうやって見てみると、道路の管理主体を明示するのはごくごく当たり前のことだったのかも知れません……(気づいてなかっただけ?)。

そして、こちらが苫前町カントリーサインです。熊の親子のスキンシップ?が微笑ましいですが、苫前町はあの「三毛別羆事件」の舞台でもあるんですよね……(汗)。

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