イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十八信」(初版では「第二十三信」)を見ていきます。
米沢平野(続き)
飯豊町の「松原」という集落を歩いていたイザベラは、ここでちょっとしたハプニングに見舞われます。
松原という農村の長い街路を歩いていると、一人の男が私の前に走り出てきて話しかけたので、びっくりした。伊藤が出てきて、大声でどなりながらこの男をおさえ、この男が私をアイヌ人とまちがえたと分かった。
なんと、あろうことかイザベラのことをアイヌと見間違えたとのこと。ただ、このエピソードは色々なことを教えてくれます。少なくとも米沢盆地のあたりでは「アイヌ」という民族の存在が認知されていて、普通に街路を歩いている可能性があると認識されていた……ということになりますね。
ちなみに、イザベラは「アイヌ」について次のように説明しています。
アイヌ人は、蝦夷(北海道)の征服された原住民である。
「征服された原住民」とのことですが……うーん、そういうことになっちゃいますよね。
そして、アイヌに間違えられたイザベラは、次のような新事実を明らかにしていました。
私は、以前には中国人とまちがえられたことがあったのだが!
……。もしかして、イザベラってどことなくアジア系の顔だったんでしょうかね。西洋人だからと言って必ず金髪碧眼というわけでもありませんし。
母の追悼
イザベラは、旅の道中で見かけた不思議な風習について、次のように紹介していました。
越後の国のいたるところで私は、静かな川のちょうど上に、木綿布の四隅を四本の竹の棒で吊ったものを見かけた。ふつうその背後には、長くて幅の狭い木札があり、木札の上部には、墓地で見るものと同じような文字が刻みこまれている。ときには、竹の棒の上部の凹みに花束が挿してあり、ふつう布そのものの上にも文字が書いてある。布の中には、いつも木製の柄杓が置いてある。
イザベラが日本の風習について紹介する場合は、だいたい読みすすめるうちに「ああ、あれかぁ」と合点がいくのが常ですが、この記載についてはどれだけ読んでも謎が残りました。
"Unbeaten Tracks in Japan" には The Flowing Invocation. と題された挿絵があったようです。リンク先で挿絵を見ることができるので、イメージを掴んでいただけたらと思います。
私が手ノ子から下って通りかかったとき、たまたま、坊さんが道傍にあるそれらの一つに柄杓いっぱいの水を注いでいた。布はゆっくりと水浸しとなった。坊さんが私たちと同じ道を行くので、私たちは彼と同行し、その意味を説明してもらった。
"Unbeaten Tracks in Japan" の挿絵を見ると、随分と大きな柄杓が置かれているように見えます(ケロリンの桶をちょっと小さくしたくらい?)。その柄杓ですくった水を木綿布の上に注ぐと、木綿布の上に水が貯まる……のだそうです(布なのであれば水が漏れそうにも思えるのですが……)。
イザベラは、この謎の風習について、次のような説明を受けます。
彼の話によると、その木札には一人の女の戒名すなわち死後の名前が書いてある。
「木札」というのはどうやら「卒塔婆」のことのようですね。
その花も、愛する人が自分の身寄りの者の墓に捧げる花と同じ意味をもつものである。
ふむふむ。ここまで読んだ限りでは、これは「お墓」なんじゃないか、と思えてきますが……。
その布に文字が書いてある場合は、日蓮宗の有名なお題目の南無妙法蓮華経という文字である。
ということは、これは日蓮宗の流儀なんでしょうかね? そして、なぜ布に水を注ぐのか……という点については、次のように説明がなされました。
布に水を注ぐのは祈願であり、しばしばこのとき数珠をつまぐって祈念する。これは「流れ灌頂」といわれるもので、私はこれほど哀れに心を打つものを見たことがない。
なるほど。柄杓で水を注ぐという行為そのものが供養なのですね。この供養は「布が破れる」ことがゴールとなるようですが、布が破れることが、地獄から解放されることを示しているとのこと。
これは、初めて母となる喜びを知ったときにこの世を去った女が、前世の悪業のために血の池という地獄の一つで苦しむことを《と一般に人々は信じているが》示しているという。そして傍を通りかかる人に、苦しんでいる女の苦しみを少しでも和らげてくれるように訴えている。なぜなら、その布が破れて水が直接こぼれ落ちるようになるまで、彼女はその池の中に留まらなければならないのである。
どうやら出産に際して亡くなった母親を供養するためのものだったようです(場所によっては水死者の供養としても行われた、とも)。「流れ灌頂」は「卒塔婆を川に流す」という供養だ、と捉えることも可能で、木綿布によって川に流れることを妨げられている卒塔婆を「救出」(=川に流す)するための供養だ、と考えることもできそうです。
死者の国の判定(閻魔)
ここからの「死者の国の判定(閻魔)」と題された章は、"Unbeaten Tracks in Japan"(日本奥地紀行)の「普及版」ではカットされた部分です。些か醜聞に近い内容なので、あえてカットしたのかもしれません。
私は幾人かの徒歩旅行者が柄杓に水をいっぱいに汲みそれを空けていくのを見ることなしには、「流れ濯頂」の脇を通り過ぎることはめったにありませんでした。
道行く誰もが、彷徨える死者の魂を救済せんとしていた……ということになるのでしょうか。美しくも物悲しい世界ですね。
無神論者の伊藤でさえも決してそれをないがしろにして、同じようにするのを怠ることはありません。
「伊藤でさえも」というパワーワードが出ました。明治初頭の日本でイギリス人女流旅行家の通訳兼付き人をそつなくこなす、というのはなかなかできることではありませんし、当時の日本においても「新人類」と呼ばれるに相応しい 19 歳(でしたっけ)ですが、その伊藤少年でさえも「流れ灌頂」を蔑ろにすることは無かった、というのはなかなか重いですね。
ところで、「流れ灌頂」で使用する木綿布はどこから入手するのか……という話ですが、実はお寺の専売品だったのだとか。そして、イザベラはここで衝撃的な情報を伊藤から聞かされることになります。
ここまでは、僧侶から聞いたことですが、伊藤が私に教えるには、金持ちの人々は、わずか数日で水がこぼれるように中心を手際よく擦りとった布を買うことが出来るが、一方、貧しい人は、硬く織った木綿が痛みに満ちた悠長さで磨り減るようなもので甘んじるしかないのだそうです。
今も昔も、碌でもない金持ちがいたものですね。こういった救いのない有様を的確に言い表した諺がありましたが……
同様な多くのあさましい僧侶たちの政略の例があります──余りにもたくさんあるので、「地獄の沙汰も金次第」という日本の俗諺があるくらいです。
さすがイザベラ姐さん、良くご存知で。
他にカトリックの施餓鬼のお布施と似通ったやり方が仏教の形式の幾つかに起こっています。
んー、「カトリックの施餓鬼のお布施」というのが何のことやらさっぱり……。ということで原文を確かめてみたところ、次のようにありました。
Other resemblances to the Romish system of paying for masses occur in several forms in Buddhism,
うーん。paying for masses は Mass stipend のことでしょうか。これを訳者の方は日本風に「施餓鬼のお布施」と訳出した……ということかもしれません。
「地獄の沙汰も金次第」の実例として、イザベラは次のように記していました。人々は寺を訪れて、身内の魂を解放すべくお布施を支払う……ということのようです。
煉獄の苦しみを受けている身内の魂が解き放たれることを目的として、閻魔帳に記されている悪い行いの合計に見合った割合の額を僧侶に支払い、閻魔がその分だけ相殺して取り消すことに望みをかけます。
なんというか、宗教の「役割」というものが透けて見えてくるような気がしますね。
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