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アイヌ語地名の傾向と対策 (728) 「茂岩・興志内・塩越川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

茂岩(もいわ)

mo-iwa
小さな・霊山

 

(典拠あり、類型多数)

古宇郡泊村の北西部の地名で、「弁天島」や「盃温泉」のあるところです。蛭子さんのバス旅で初日に泊まったところとしてご存じの方もいらっしゃるかもしれません(あのシリーズ、面白かったですよね)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「モユワ」と描かれています。また「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。

巗〔巌〕壁傅ひセヨノツト(岬)、エヲロシ(岩磯)、岩平傅ひ(一町半)モユワ(大岩、白崩、前島あり)、岩窟、石燕多し。此所も澗多く鉛氣有。モユワ泊(灣、七町)、ホンモユワ(灣)、チンナイ(瀧)弓の弦の如き義也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.119 より引用)

「ホンモユワ」は、旧・茂岩トンネルを抜けた先のあたりで、沖合に 3 つほど島のあるところです。「チンナイ」は地理院地図で「ポン祈石」と書かれているあたりの谷川のことだと思いますが、もしかしたら「チシナイ」かもしれないなぁ、と想像しています(未確認)。

本題に戻って「茂岩」ですが、永田地名解には次のように記されていました。

Mo iwa  モ イワ  小キ岩山 海中ノ大岩ニ名ク

どうやら現在の「弁天島」が「モイワ」だったと考えて良さそうです。「イワ」あるいは「モイワ」は道内のあちこちにありますが、単なる「岩山」ではなく、いかにも霊験のありそうな山をそう呼んでいたみたいですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」にも次のように記されていました。

ここの場合,海中の岩だというこの記事に不審を持ちながら来て見た。見ると鋭角のピラミッドのような巨岩が海中に聳えていた。形は典形的なモイワである。こういう海中のモイワもあったかと眺めた。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.476 より引用)

弁天島もとても形の良い岩山ですから、「モイワ」と呼ぶに相応しいですね。mo-iwa で「小さな・霊山」と解釈して良いかと思います。

興志内(おきしない)

o-ki-us-nay
河口・茅・多くある・川

 

(典拠あり、類型あり)

「茂岩川」と「盃川」の間に「塩越川」という川が流れていて、そのあたりが「興志内」という地名……の筈なのですが、「盃温泉」や「盃漁港」などがあり、すっかり「興志内」という地名が影に隠れてしまったような感があります。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ヲキシナイ」と描かれています。また「西蝦夷日誌」にも次のように記されていました。あれ、テンプレ?

ヲイウネベツ(小川、人家)、前に平磯あり。(十二町)チエチマノベツ(同)、ヲソシナイ(瀧五丁)、ヲキウシナイ〔興志内〕(瀧川)、カヨノツト(岬、十丁)、ユオトマリ(磯)、近比まで土人家ありしと。爰に岩間に涌水有て少し温し、土人是に楡皮を浸し置也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.119 より引用)

このあたりの記録は「東西蝦夷山川地理取調図」よりも「西蝦夷日誌」のほうが詳しいという、割と珍しい逆転現象?が起こっているように見受けられます。「カヨノツト」(kay-o-not?)は「竹四郎廻浦日記」では「ユヲロシ」となっていて、これが yu-woro-us-i であれば「湯・うるかす・いつもする・ところ」とあり、「ここに岩間に湧き水ありて少し温かし」という西蝦夷日誌の記録とも符合しそうです。

本題に戻って「興志内」ですが(またテンプレか)、永田地名解には次のように記されていました。

O ki ush nai  オ キ ウㇱュ ナイ  川尻ニ茅多キ川 興志内村ト稱スルハ松浦地圖「ヲキシナイ」ノ誤リテ傳ヘタリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.110 より引用)

ということで、o-ki-us-nay で「河口・茅・多くある・川」と考えて良さそうです。永田方正はご丁寧にも「『東西蝦夷山川地理取調図』に『ヲキシナイ』とあるのは間違いだよ」という解説を付け加えていますが、これについては山田秀三さんが次のように指摘していました。

地名では,母音が二つ続くと,その一つを落として呼ぶことは普通のことなのであった。「おきしない」となったのは誤りではない。永田地名解の中にだって方々にその形が書かれているのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.476 より引用)

あー、いかにも「あるある」な話ですね……。

塩越川(しおこし──)

si-{o-ki-us-nay}??
主たる・{興志内川}

 

(?? = 典拠なし、類型あり)

泊村興志内のあたりを流れる川の名前です。先程の「興志内」は川の名前だったと考えるのが自然ですが、現在「興志内川」という川の存在は確認できません。代わりに「塩越川」が流れている、と言えそうです。

ということで、改めて「西蝦夷日誌」の内容を確認してみましょう。

濱に出てサカツキ〔盃〕(番や、蔵、いなり、瀧、人家)、名義、金銀礦有の義也。此處に銘礦有故に號く。ヲイウネベツ(小川、人家)、前に平磯あり。(十二町)チエチマノベツ(同)、ヲソシナイ(瀧五丁)、ヲキウシナイ〔興志内〕(瀧川)、カヨノツト(岬、十丁)、ユオトマリ(磯)、近比まで土人家ありしと。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.119 より引用)

これを見た限り、「ヲイウネベツ」が現在の「盃川」なのかなぁ、と思わせます。となると「盃川」と「茂岩川」の間に「チエチマノベツ」「ヲソシナイ」そして「ヲキウシナイ」があった、と考えられそうです。現在の地形図を見た限りでは、川として描かれているのは「塩越川」だけで、あと降雨時に水が集まりそうな谷が南北にそれぞれ一つずつあります。

残念ながら「チエチマノベツ」については説明がつきませんが、やはり「ヲキウシナイ」が「塩越川」になったと考えるべきではないかと思っています。si-{o-ki-us-nay} で「主たる・{興志内川}」と読めそうです。

もしかしたら、塩越川の隣にある谷(地理院地図では川として描かれていない)のどちらかを mo-{o-ki-us-nay} と呼ぶ流儀があったのかもしれませんね。

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