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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (20) 「間人」

国道 482 号と府道 53 号「網野岩滝線」が交叉する「溝谷桜ヶ前」交叉点で信号が青になるのを待っていたのですが……

ふむ、この先に「間人温泉郷」があるのですね。「間人」は「たいざ」と読むのですが、これはなかなか読めないですよねぇ。

「スイス村」というのは、名前だけは聞いたことがあるような気がするのですが……。改めて場所を確かめてみると、かなり山奥にあるんですね。


右手のやや高台になっているところに「京都府立峰山高等学校 農園芸科 家政科」がありました。Google Map を見ると「弥栄分校」とあります。

丹海バス成願寺停留所

更に北上を続けて、旧・丹後町域に入りました。「成願寺」というところなのですが、このまま直進すると道路がめちゃくちゃ狭くなりそうに見えます。

ところが、どうやら単なる目の錯覚だったようで、普通にセンターラインのある道でした。一安心でしょうか。

それよりも、この「丹海バス」のバス停がめちゃくちゃ渋いですよね……!

謎の煙……?

成願寺の集落も何事もなく通過して、竹野川にかかる「三宅橋」に差し掛かりました。

国道 482 号は竹野川の西側の山裾を縫うように走ります。ところでこの煙(ですよね)は何なんでしょう……?

「丹後中学校上」交叉点

国道 482 号と国道 178 号が合流する交叉点にやってきました。この先、経ヶ岬方面に向かう国道は、178 号と 482 号の重複区間になるようです(青看板等には記載なし)。

それはそうと、この青看板、このまま府道 672 号を直進したらどこに行くのか記載がありません。実は旧・丹後町の中心地である間人(たいざ)の市街地に向かうのですが……。間人の市街地はちょっと狭い道路が多いため、他所からの車は入ってきてほしくない、というのもあるかもしれませんね。

京丹後市丹後町間人(──たいざ)

右折して、国道 178 号(国道 482 号と重複区間)を北東に向かいます。

間人の市街地から見ると「山の向こう側」ですが、このあたりも「京丹後市丹後町間人」です。

「間人後ヶ浜」(たいざのちがはま)の交叉点にやってきました。国道 178 号の「間人バイパス」とも言うべき区間はここまでで、古くからのメインストリートと合流です。

「間人」は「たいざ」か「はしひと」か

それにしても、「間人」を「たいざ」と読ませるのは、知識として理解していてもなかなか戸惑いがありますね。舒明天皇と皇極(斉明)天皇の皇女の「間人皇女」や聖徳太子の生母である「穴穂部間人皇女」は、いずれも「間人」を「はしひと」と読むので、なおのこと「はしひと」と読みたくなってしまいます。

Wikipedia によると、「間人」(たいざ)には次のような伝承があるみたいです。

聖徳太子の生母・間人皇后(はしうどこうごう)が蘇我氏物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后がこの地から退座(たいざ)したのにちなみ間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀になく、由来には他にも諸説がある。
Wikipedia 日本語版「間人」より引用)

なにか知られざる秘密がありそうな地名……のような感じがしますね。

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