「手宮洞窟保存館」の話題を続けます。今度は随分と見やすくなったのですが、今から思えばこの日最初の入場者だったらしく、途中まで通路の明かりが点灯してなかった、というオチのようでした。「すげー、誘導灯しか無いよ」と思っていたのは、何かの間違いだったようです。
こちらの壁画にも、ちゃんと解説文つきの案内パネルが用意されています。
壁画をハイライト表示したものです。現代人からすると、まるで「宇宙人」が描かれているように思えますね(殆どの人が宇宙人なんか見たこと無い筈なのに……)。
「手宮洞窟の彫刻について」という解説文です。「彫刻された絵は頭に角のある人が大部分を占め」とありますが、一説には「狩猟生活や祈りに関係ある仮装した人の絵」ではないか、と見られているようです。
なるほど、エゾシカなどのコスプレをしていた、という可能性も考えられそうですね。
遺跡年表
「手宮洞窟保存館」には、壁画(と考えられる)のほかに、洞窟から出土した遺物も展示されていました。出土品の上には(ありがたいことに)年表も用意されていたのですが……
あれれっ。手宮洞窟の壁画って、思いのほか新しかったのですね。同時代の遺跡として「大山古墳(大阪府)」とありますが、これは日本最大の古墳として知られる、いわゆる「仁徳天皇陵」のことでしょうか(現在は、この古墳の被葬者は仁徳天皇ではないと考えられているようですが)。
この年表ですが、表の一番上の「年代」と、下のほうにある「(本州)時代区分」が少しズレているように見えるのが難点でしょうか。表のレイアウトに改善の余地がありそうです。
「続縄文時代の主な遺跡位置図」として、斜里町の「宇津内遺跡」、厚岸町の「下田ノ沢遺跡」、新冠町の「大狩部遺跡」、日高町の「トニカ遺跡」(違ったかも)、白老町の「アヨロ遺跡」、恵山町の「恵山貝塚」、せたな町の「南川遺跡」(これも違うかも)、余市町の「大川遺跡」、小樽市の「餅屋沢遺跡」、石狩市の「紅葉山33号遺跡」、江別市の「江別太遺跡」などが紹介されていました。
第2洞窟
1990 年に再発見された「第2洞窟」と呼ばれる区画が紹介されていました。
これは手宮洞窟と類似性のある、壁画の描かれた洞窟の分布図だったでしょうか(違っていたらすいません)。
シベリアや北アジアを中心に、結構な数が確認されているのですね。
手宮洞窟について
それでは、そろそろ退出することとしましょう。
最後に(入場時に見逃した)「手宮洞窟について」の説明文を見ておきましょう。やはり当初は「古代文字」という解釈が有力だった、ということですね(現在は「壁画」と考えられているとのこと)。
そう言えば、重要なことを書くのを忘れていましたが、「手宮洞窟保存館」は、構造上十分な換気が不可能なため COVID-19 の感染リスクが回避できないとして、2020/7 現在は休館中とのことです。
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