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「日本奥地紀行」を読む (135) 久保田(秋田市) (1878/7/23)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十二信」(初版では「第二十七信」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

日本の警察

久保田(秋田)で師範学校と工場、病院などの「社会見学」を楽しんだイザベラですが、一方で更なる北上のための情報収集も進めていました。

 その後に私は中央警察署に出かけ、青森へ至る内陸ルートについてたずねた。たいそう親切なもてなしを受けたが、情報は得られなかった。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.259 より引用)

イザベラが「たいそう親切なもてなしを受けた」にも拘わらず「情報は得られなかった」のは、本当に情報が無かったのか、それともイザベラ一行に情報を隠した結果なのか、どっちだったんでしょうか。イギリス大使館のバックアップを受けたイザベラの旅を表立って邪魔することはできないものの、現地の警察が「面倒な旅人だ」と感じていたことも容易に想像できるので……。

イザベラは日本の警察が人々に対して親切である……とした上で、次のような分析を加えていました。

彼らはサムライ階級(士族)に属している。もちろん彼らは生まれつき地位が上であるから、平民ヘイミンたちに尊敬を受ける。彼らの顔つきや、少し尊大な態度があるのは、階級差別をはっきり示している。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.259 より引用)

イザベラの「日本奥地紀行」が行われた 1878 年は「明治 11 年」で、大政奉還の僅か 11 年後だったことになります。ちょんまげを切り落としたサムライには商才の無いものが多かった……なんて話もありますが、警察官に転身したというのは理にかなった選択だったような気もします。

日本の警察は全部合わせると、働き盛りの教育ある男子二万三千三百人を数える。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

気になったのでググってみたのですが、日本の警察官の数は年々増加を続けていて、現在は 25 万人を超えているとのこと。1878 年当時の日本の人口は約 3,600 万人だそうですから、人口比を考えても……警察官、増えていますね。

たとえそのうち三〇パーセントが眼鏡をかけていたとしても、警察の有用性を妨げるものではない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

「日本人(観光客)」のシンボルとして「メガネ」「出っ歯」「首からカメラ」が多用されるようになったのはいつ頃からなんでしょうか。流石に「警察官の約 30 % が眼鏡を着用」という統計データがあった訳では無いでしょうが、イザベラにそう思わせる程度には着用率が高かった、ということでしょうか。

そのうち五千六百人が江戸(東京)に駐在し、必要あるときはすぐ各地に派遣される。京都に千四人、大阪に八百十五人、残りの一万人は全国に散らばっている。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

イザベラは「男子 23,300 人を数える」と記していましたが、そのうち 5,600 人が東京に駐在していて、京都には 1,004 人、大阪には 815 人、残りの 1 万人が全国に散らばっている……とありますね。計算すると 5,500 人ほどの所在が不明なのですが、これは……いかにも日本の統計っぽい感じがしますね(何故だ)。

警察の費用は年に四〇万ポンドを超える。秩序を維持するにはこれで充分である。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

それにしても、こういった情報をイザベラはどこで仕入れていたんでしょうね。そして「奥地紀行」を期待する読者に対して「日本の警察の年間予算」の情報が必要だったとは思えないのですが、何故か「普及版」でもこのトピックは削除されずに生き残っています。

日本の役所はどこでも、非常に大量に余計な書類を書くから、警察に行ってみても、いつも警官は書き物をしている。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

うわ(笑)。「日本の役所はどこでも、非常に大量に余計な書類を書く」ということが、明治 11 年の時点で既にバレていたとは……。

書いてどうなるのか私には分からない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

イザベラ姐さん、調子が上がってきましたね(笑)。

警官はとても知的で、紳士的な風采の青年である。内陸を旅行する外国人はたいへん彼らの世話になる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.259 より引用)

ふむふむ……なるほど。警察に関するトピックが「普及版」でもカットされずに残ったのは、旅行者の助けになると考えたからなんですね。イザベラは日本の警察官について「いくぶん威張った態度をとりたがる」とした上で「きっと助力してくれる」としていますが、

しかし旅行の道筋についてだけは、彼らはいつも、知らない、とはっきり言う。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.260 より引用)

最後のオチがそれですか……。これは(繰り返しになりますが)本当にルートを知らなかったのか、それとも知っていてあえて教えなかったのか……という二択になろうかと思われるのですが、後者については「職掌外の事項だったので答えなかった」という可能性もあるのでしょうか。それとも「下手なことを言って責任は取れない」というお役所的なリスクヘッジだったりして……。

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