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「日本奥地紀行」を読む (137) 久保田(秋田市) (1878/7/24)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日からは、普及版の「第二十三信」(初版では「第二十八信」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

長雨

イザベラは久保田(秋田)で病院や師範学校、工場の見学に二日ほど費やした後も、止むこと無く降り続く雨のために出発できずにいました。

次々と旅行者が来て、道路が通れなくなったとか、橋が流されたという話をする。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.261 より引用)

これは現代でも良くある光景ですね。もちろん当時の交通網は現在のものと比べると遥かに脆弱なのですが、どれだけ「強靭化」しても自然災害は普通に想定を上回ってくるのが恐ろしいところです。

信頼できる召使い

ネタが尽きたから、というわけでも無いとは思いますが、ここで何故か召使い兼通訳である伊藤(伊藤鶴吉)の話題に移ります。

伊藤はよくおもしろいことを言って私を笑わせる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.261 より引用)

伊藤が口にするのは「ジョーク」と言うよりは「ホラ吹き」のようで、イザベラは次のような具体例を示していました。

そこで彼はいつもほらを吹く。学生たちはすべて教育ある人間や東京の住民のように、口を閉めているが、いなかの人間はみな口を開けたままであることに気がついたか、と私にたずねた。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.261 より引用)

決して上品なホラとは言えないですが、まぁ「そんな時代だった」と言うことでしょうか。

伊藤がイザベラの前に現れた時から、イザベラは伊藤のことをあからさまに不審に思っていたものの、二ヶ月ほど旅を続けたことでイザベラにも心境の変化があったようです。

 私は近ごろ伊藤についてほとんど何も言っていないが、日毎に彼を頼りにしているように思う。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.261 より引用)

まぁ外国人が日本を旅する上で通訳を「頼りにする」のは当たり前ですが……あれ、原文を見るとちょっとニュアンスが異なるような……。原文はこうなっていて、

I have said little about him for some time, but I daily feel more dependent on him, not only for all information, but actually for getting on.
(Isabella L. Bird, "Unbeaten Tracks in Japan" より引用)

時岡敬子さんはこれを次のように訳していました。

このところ伊藤についてはあまり手紙に書いていませんが、情報収集という点ばかりでなく、実際に旅を続けていく上において、彼を頼る気持ちが日に日に強くなってきています。

ああ、やはり「情報収集」で伊藤を頼るのは当然のこととして、旅を続ける上での「パートナー」としての側面が強くなってきている、ということですね。

伊藤は宿泊の際にイザベラの「時計・旅券・所持金の半分」を預かるとのこと。これはイザベラにとって随分と分の悪い取引に思えるのですが、伊藤はどのようにしてイザベラからこれらの「条件」を引き出したのでしょうか。

もし彼が夜中に逃亡したら私はどうなることだろうかと、ときどき考える。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.261 より引用)

そうなんですよね。仮に伊藤が逃亡しただけでも、イザベラは周囲とのコミュニケーション不全に陥るのが目に見えているわけで、ただでさえ危険が大きいのに何故「パスポートを預ける」というような危険を冒したのか……?

まぁイザベラが所持金を手元に置いたならば、それはそれで盗賊の格好の餌食になりそうですし、所持金の半分をイザベラの枕元に残すというのは伊藤の良心なのかもしれませんが……。

伊藤の格付けを「信頼できるパートナー」に上げたイザベラですが、その一方で次のようにも記しています。

彼は決して良い少年ではない。彼は私たちの考えるような道徳観念を持っていない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.261-262 より引用)

どうやら伊藤は「腹黒だが信頼できるパートナー」という格付けが正しいのかもしれません。イザベラは伊藤の態度が不遜であるとして、次のように不快感を示しています。

彼は外国人を嫌っている。彼の態度は実に不愉快なときが多い。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

ただその一方で、イザベラは伊藤以上の「召使い兼通訳」を雇えていたかどうかは疑わしいとした上で、伊藤の語学力を次のように評しています。

東京を出発するとき、彼はかなりうまい英語を話した。しかし練習と熱心な勉強によって、今では私が見たどの通訳官よりもうまく話せるようになっている。彼の語彙は日毎に増している。彼は単語の意味を覚えると、決して不正確に使用しない。彼の記憶力はたしかである。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

伊藤の格付けは「腹黒だが極めて優秀で信頼できるパートナー」に変化したようですね(格付けとは)。

伊藤の日記

イザベラの「伊藤ネタ」が続きます。

彼は日記をつけ、英語と日本語と両方を書きこむ。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

旅の記録を残すのは理解できるとして、英語と日本語の両方で記していたとは……! これはイザベラのことを考えてのことなのか、それとも英語のトレーニングなのか……イザベラは後者だと考えたでしょうが、果たして……?

それを見ると、非常に苦労して物事を観察していることが分かる。彼はときどき日記を私に読んで聞かせる。彼のように旅行の経験の多い青年から、この北国で新奇に感じたことを聞くのはおもしろい。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

これまでもイザベラの「日記」が異常なまでに「鋭い」内容になっているケースがありましたが、その一部は伊藤の日記から詳細を拾っていた可能性もありそうですね。

ここまで見ると、伊藤は凄まじい向学心の持ち主であることがわかりますが、その上に実務面でも優秀だったようで……

彼は宿泊帳と運送帳をもっていて、請求書と受取書をすべて書きこんである。彼は毎日あらゆる地名を英語の文字に直し、距離や、輸送と宿泊に払った金額を書きこむ。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

これはイザベラのリクエストだったのかもしれませんが、リクエストを卒なくこなすあたり、やはり只者では無いですね。

伊藤の優秀性

イザベラは、伊藤がどのような点で優秀なのか、次のように具体例を挙げていました。

 彼は各地で、警察や駅逓係からその土地の戸数や、その町の特殊の商業をたずねて、私のためにノートに記しておく。彼は非常な努力を払って正確に記録しようとする。不正確な情報のときには、「確かでないなら書きこむ必要はありません」と言う。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

あー。イザベラの「日記」の地誌的な側面が異様に強くなったのも、伊藤の努力の賜物だったのですね。いや、そりゃまぁそうだろうと思ってはいましたが、イザベラの通訳をしていただけではなく自主的に取材していたということになるので、もう「召使い」ではなく「アシスタント」と呼ぶべきですよね。

彼は決して遅くならず、怠ることもなく、私の用事以外は夕方に外出することもない。酒には手を触れず、言うことに従わぬことは一度もない。同じことを二度言ってやる必要もなく、いつも私の声の聞こえるところにいる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.262 より引用)

ここまで見た限りでは、伊藤の特性は次のあたりでしょうか。

  • 腹黒
  • 態度が悪い
  • 向学心が強い
  • 実務能力が高い
  • 職務に忠実

好ましくない点もあるとは言え、美点がそれを遥かに上回っている、と言ったところかもしれません。

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