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「日本奥地紀行」を読む (138) 久保田(秋田市) (1878/7/24)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第二十三信」(初版では「第二十八信」)を見ていきます。

この記事内の見出しは高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。当該書において、対照表の内容表示は高梨謙吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳「バード 日本紀行」(雄松堂出版)の内容を元にしたものであることが言及されています。

伊藤の欠点

「伊藤の優秀性」を列挙したイザベラでしたが、やはりと言うべきか、「伊藤の欠点」についてもちゃんと言及しています。

彼は同じことを如才なく繰り返し、すべて自分自身の利益にしようという意図を隠さない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.262-263 より引用)

「すべて自分自身の利益にしようとする意図を隠さない」というのは「抜け目がない」と言い換えることができるでしょうか。いや、それよりは「野心家」と言ったほうがいいのか……?

彼は給料の大部分を、未亡人である母に送る。「この国の習慣です」と言う。残りは菓子や煙草に使ったり、しばしば按摩にかかるのを楽しみにしているようである。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

あれっ。これは普通に良い話ですよね。伊藤は当時 18 か 19 の筈ですが、過酷な旅を続けると肉体的にも疲労が溜まる一方でしょうから、マッサージを楽しみにするというのは理解できます。

 彼が、自分の目的をかなえるためなら嘘もつくし、私に見られないならとことんまで上前をはねていることは、疑いない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

「私に見られないなら」と前置きしつつ「疑いない」と言うことは……。イザベラが根拠のない「単なる憶測」でここまで断言するとも思えないので、やはり何らかの「証拠」があったと見るべきなんでしょうね。「代理人ビジネス」はある意味「上前をはねる商売」とも言えますが、イザベラがここまで悪し様に書くということは、上前のはね方が相当なんでしょうか……。

彼は、悪徳の楽しみ以外には、やる気もないし知ってもいないようだ。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

イザベラ姐さん、調子が上がってきましたね……。

彼の率直な言葉は、人を驚かせるものがある。どんな話題についても、彼は遠慮というのを知らない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

これはある意味現代的というか、若者的な感じもしますね。露悪的というか、ちょっと色々と拗らせた感じがある……と言ったところでしょうか。もちろん給料の大半を仕送りに当てたりして孝養に尽くしている側面もあるわけで、根っからのアウトロー(死語?)というわけでも無さそうですが……。

ただ、イザベラは伊藤の「炎上覚悟でぶっちゃける」性格について「わかりやすい」と捉えていた節もあります。イザベラが伊藤のことを「抜け目のない野心家で自分の利益になることなら何でもする」と見抜いていたのも、伊藤の「わかりやすい」性質によるものとも言えそうです。

彼の前の主人のことは別として、彼は男や女の美徳をほとんど信じない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

伊藤がイザベラの前に現れた(面接にやってきた)くだりを改めて読み返してみたのですが、「前の主人のこと」が具体的に何を指すのかは良くわかりませんでした。一体何があったんでしょう……?

日本の将来の予言

イザベラは、伊藤が自らの国についてどう考えていたかについても詳らかに記していました。伊藤は日本が海外からあらゆるものを貪欲に取り入れるべきだと思っていて、同時に日本の優れたものを海外に広めるべきだと考えていたようです。日本が数百年に亘った「鎖国」を解いたことに好意的だったと見られますが、「通訳」を生業にしているくらいですから、これはまぁ当然のことでしょうか。

外国もそれと同じほど日本から学ぶべきものがあるし、やがて日本は外国との競争に打ち勝つであろう、と信じている。なぜなら、日本は価値あるものをすべて採用しキリスト教による圧迫を退けているからだという。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

ここが面白いところで、これは「師範学校」でのやり取りとほぼ同じなんですよね。欧米の文明が「キリスト教の価値観」の上に成り立っていることを知ってか知らずか、「キリスト教による圧迫」と表現しているところも気になるところです。

また「やがて外国との競争に打ち勝つだろう」という考え方……というかメンタリティは、どことなく「改革開放」以降の中国のイメージとも重なるものがありますね。

愛国心が彼のもっとも強い感情であると思われる。スコットランド人やアメリカ人は別として、こんなに自分の国を自慢する人間に会ったことがない。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

どうやら伊藤の不遜な態度や露悪的な言動は、「愛国心」を拗らせたものである可能性がありそうですね。「黒船」による恫喝で、不平等な形で開国を強いられたことが、伊藤の態度に暗い影を落としているようにも思えます。

彼は片仮名も平仮名も読み書きできるので、無教育者を軽蔑する。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

これも残念な感じのエピソードですね。

彼は外国人の地位や身分に対して、少しも尊敬も払わないし価値を認めないが、日本の役人の地位身分に対しては非常に重きを置く。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263 より引用)

うーむ、これは……。海外の文物を積極的に取り入れようとする時点で「国粋主義者」では無いのでしょうが、その一方で海外の文化や文明には敬意を払う必要はないという考えでしょうか。日本の役人にペコペコするのは処世術なのかもしれませんが、これもちょっと残念な感じでしょうか。

彼は女性の知能を軽蔑するが、素朴な茶屋の女に対しては町育ちらしくふざける。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.263-264 より引用)

「無教育者差別」「外国人差別」に加えて「女性差別」でしょうか。こうやって書き並べてみると最低最悪な人間ですが、昔の日本はこれが当たり前だったという説もあると言えばある訳で……。

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