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山陰本線の旅(番外編)#5 「久代・下府」

益田行き 3455D 快速「アクアライナー」は 9 分遅れで波子を出発しました。次の停車駅は浜田です。

久代駅(くしろ──)

波子から 2.3 km のところに「久代駅」がありますが、残念ながら快速は通過してしまいます。読みが「釧路駅」と同じなのは問題視されなかったのでしょうか……。

久代駅の開設は 1959 年(昭和 34 年)とのこと。ちょうどディーゼルカーの導入が進んだ頃だったでしょうか。どうやら最初から客車列車の存在は考慮されなかったらしく、ホームはかなり短いものしか用意されませんでした。久代駅は快速列車の通過駅ですが、1992 年までは客車の普通列車も通過していたのだそうです。

久代を通過して更に西に向かうと、山陰本線に「山陰道」(国道 9 号)が近づいてきました。地形を考えるとここを通るしか無かった……ということなんでしょうね。

下府(しもこう)の集落が見えてきました。ここは既に浜田市ですが、そう言えば江津市は「赤瓦の町!」でしたね。そう言われて見てみると、確かにそれなりに赤い瓦の屋根があるような。全国平均と比べてどうなのかは、流石にちょっとわかりませんが……。

あれっ、この写真は……?

多分、手が滑ったんだと思います(汗)。

下府駅(しもこう──)

久代の次の駅が「下府駅」です。これで「しもこう」と読ませるのですから驚きですよね(下国府ならともかく)。

山陰本線は国道に沿って左にカーブして、このあたりでは一旦南に向かっているのですが、下府駅はわざわざ集落の外れに作られています。もっと北の方に駅を作っておけば色々と便利だったのでしょうけど、何故なんでしょうね。勾配の関係とかなんでしょうか。

下府駅でキハ 120(だと思いますが違っていたらすいません)とすれ違いました。時刻表をチェックしたのですが、該当しそうな列車が見当たりません。回送なのか、それとも臨時なのか……?

旧・今福線跡

ちなみに、地形図を見ていて、妙な道の存在に気づきました。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

異様に直線が多く、しかも下府駅の北側で山陰本線にすり寄るような形でカーブしています。明らかに線路跡に思えるのですが、これは正確には「未成線」だったようです。浜田と石見今福を結ぶ予定だった「今福線」の路盤跡が道路に転用されているみたいですね。

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