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アイヌ語地名の傾向と対策 (670) 「ヌプリケシオマップ川・ヌプリパオマナイ川・アイヤムナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ヌプリケシオマップ川

nupuri-kes-oma-p
山・しものはずれ・そこに入る・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

遠別町大成に道道 688 号「名寄遠別線」の「錦橋」がありますが、錦橋から見て 250 m ほど東(下流側)で遠別川に合流する東支流の名前です。流路が河口の手前で大きく「己」の字のように曲がっているのが特徴的でしょうか(「ウヘンベツ川」の回もご参照ください)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ノホリケシヨマ」という名前の川が描かれています。一方で「竹四郎廻浦日記」には「ホリカケシヨマフ」という名前の川が記録されています。

また、永田地名解には次のように記されていました。

Nupuri kesh oma nai.  ヌプリ ケㇱュ オマ ナイ  山下ニアル川

どうやら永田方正は「ノホリケシヨマ」系の解釈だったようですね。kespa の対義語で、知里さんは「しものはずれ」あるいは「末端」としています。horka-kes-oma-p だとすれば「U ターンする・末端・そこに入る・もの(川)」となり、何の末端だったのかが良くわからないことになります。

一方、「ノホリケシヨマ」が nupuri-kes-oma-p なのであれば、「山・末端・そこに入る・もの(川)」となり、意味するところは明瞭になります。nupuri が具体的にどの山を指していたのかは、川の南側に「三ッ山」という標高 550.4 m の山があり、おそらくはこの山じゃないかな……と思っています。その理由ですが……おっと文字数が(わざとらしい)。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」には、現在の「滝ノ沢川」あたりに相当する位置に「ホリカケシヨマ」という川が描かれています。これは horka-???-kes-oma-p だったと考えられそうです。

ヌプリパオマナイ川

nupuri-pa-oma-nay?
山・かみのはずれ・そこに入る・川
(? = 典拠未確認、類型多数)

道道 688 号「名寄遠別線」の「流星橋」から、北に 0.8 km ほど戻ったあたりで遠別川に合流する東支流の名前です。

「東西蝦夷山川地理取調図」には、似たような位置に「カツチウトロス」という名前の川が描かれています。「竹四郎廻浦日記」には「カツチウトロマフ」という名前の川が記録されていますが、これが現在の「ヌプリパオマナイ川」のことかどうかは今ひとつ確証が持てません。

微妙なニュアンスを実感いただくためにも、折角なので引用しておきましょうか。

又少し上り ビラトヲマベツ、並て バンケホロベツ、並び ベンケホロベツ、又しばし行て ヲムシユルベシベ、並び右の方 チライウンホンヘツ、またしばし行て ベウレフウタシナイ、ホリカケシヨマフ、並びて クチヤウシウイベツ、ノホリシロマフ、カツチウトロマフ、此辺左右高山にして一日路斗も堅雪の上をこへてウリウ河源 ホロチユクベツ源と対して是え出るなりと聞り(渡し守トマヽ申ロ)。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 上」北海道出版企画センター p.516-517 より引用)

「クチヤウシウイベツ」という記録は興味深いもので、永田方正が「遠別」の由来について「『ウェンベツ』ではなく『ウイェ ペッ』だ」としたこととの関連性が気になります。

「ベンケホロベツ」が現在の「ペンケホロベツ川」で、続く「ヲムシユルベシベ」が「オモシルシベツ川」なのは、ほぼ間違いないと言っていいかと思います。「ベウレフウタシナイ」も、明治時代の「北海道地形図」を見る限りは現在の「ウヘンベツ川」のことと考えていいと思います。

この流れで見ていくと、「ホリカケシヨマフ」が「ヌプリケシオマップ川」になろうかと思われますが、そうすると、続く「ヌプリパオマナイ川」は「クチヤウシウイベツ」(常設の山小屋・ある・遠別川)ということになってしまい、「東西蝦夷山川地理取調図」にある「カツチウトロス」とは一致しないことになります。

謎の「カツチ」

「カツチウトロス」はおそらく「カツチウトロマ」の誤字だと思われます。より正確には「カツチウトロマフ」で、katchi-utur-oma-p あたりでしょう。問題は katchi という語彙が現在の辞書には無いことですが、平山裕人さんの「アイヌ語古語辞典」によれば、1704 年の「松前蝦夷地納経日記」に「カツチマタヘテトク」という語彙が見つかるとのこと。

「カツチマタヘテトク」は「山の奥」を意味するとのことなので、そうであれば katchi-mata-{pet-etok} は「深山・冬・{水源}」と読み解けそうな気がします。つまり、katchi は「山」あるいは「深山」と解釈できるんじゃないか、と思えてきます。よって「カツチウトロマフ」であれば katchi-utur-oma-p で「深山・間・そこに入る・もの(川)」となりそうです。

閑話休題

……本題から恐ろしく脱線してしまいましたが、そろそろ閑話休題。「ヌプリパオマナイ川」は nupuri-pa-oma-nay で「山・かみのはずれ・そこに入る・川」と考えられます。

この nupuri が具体的にどの山を指していたのかですが、「ヌプリケシオマップ川」と「ヌプリパオマナイ川」の間に聳える山であると考えるのが自然です。その中で飛び抜けて大きいのが「三ッ山」なんですよね(標高 550.4 m)。

アイヤムナイ川

ay-yam-nay??
矢・冷たい・川
(?? = 典拠なし、類型あり)

未開通のまま事業が凍結されてしまった道道 741 号「上遠別霧立線」沿いを流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には該当しそうな位置に川が描かれていますが、残念ながら名前は記されていません。また「竹四郎廻浦日記」にも該当しそうな記載が見当たらないのは先程引用したとおりです。

ay-yam-nay であれば「矢・冷たい・川」と解釈できます。「愛別町」を流れる「愛別川」には「水の流れが矢の如く速い」という説があり、アイヤムナイ川ももしかしたら「矢のように水の流れが速くて冷たい川」なのかもしれません。

「アイ」系の地名としては aykap というものが道内各所にあります。これは「矢占」で「矢の届かない場所」と解釈されます。「アイヤムナイ」が「アイカㇷ゚ナイ」の誤記である可能性もあるので、一応追記しておきます。

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