道道 3 号「札幌夕張線」の「夕張トンネル」を抜けて、ついでに SPAR の前を通過して、道道 38 号「夕張岩見沢線」との交叉点にやってきました。左折して夕張駅方面に向かうことにしましょう。
あ。道道 3 号「札幌夕張線」はここが終点なんですね。
2016 年の時点では現役路線だった、石勝線夕張支線の線路が見えています。
謎の隙間
清水沢と夕張の間にあった「鹿ノ谷駅」の近くにやってきました。「の」の字の表記が公式表記とはズレがあるのはともかく、看板の下側に妙な空きスペースがあるのが気になりますね……(何らかのスポットの案内があったのを消したようにも思えますが……)。
「メロンの町・夕張」ですが、目立つ店は数件くらいかな、という印象です。まぁ、このご時世なんで店頭販売以外のチャネルでうまくやっていることを期待したいところです。
線路があったということは踏切もありました。この踏切も、いずれ跡形もなくなってしまうのでしょうね。
夕張駅を探せ!
後ろに聳えるホテルマウントレースイが巨大なこともあり、見落としてしまいがちですが、夕張駅の前を通過します。風見鶏のついたトンガリ屋根が夕張駅……でしたよね、確か(ほとんど見えてない)。
セイコマの前を右折して、道道 38 号から離れます。正面にマウントレースイのスキー場が見えます。さすがに 5 月なので雪は残っていません。
「レースイ橋」を渡ります。この橋は、不思議なことに川を渡る橋では無いようで、窪地と溜池?を越えるためのもののようです。
「輝く・夕張・新時代」
夕張の「旧市街」とも言うべき一角を走ります。途中で志幌加別川を渡るのですが……
橋を渡った先には、いろいろと気になるものが。
右側に見える 3 階建ての建物には「輝く・夕張・新時代」のスローガンが。これだけでわかる方もいらっしゃるかと思いますが、数々の選挙で「泡沫候補」として名を馳せた「羽柴誠三秀吉」氏の事務所でした。
「羽柴誠三秀吉」こと「三上誠三」氏は夕張市長選挙にも 2 度出馬し、2007 年の市長選では惜敗率 89.73 % という脅威の善戦ぶりを見せていました。2011 年の夕張市長選挙に再出馬した際には惜敗率 40.35 % で惨敗したものの、その後も事務所は残っていた……のですね。
「荒野の七人」
そして、「輝く・夕張・新時代」の道を挟んで向かい側には「荒野の七人」の看板が。「炭鉱の町」から「映画の町」に転身を図ろうとしていた頃の置き土産……なのでしょうね。
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