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アイヌ語地名の傾向と対策 (786) 「ケマフレ川・岩老・日方泊川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ケマフレ川

kema-hure
足・赤い
(典拠あり、類型あり)

増毛町雄冬の北、赤岩岬の少し南側を流れる川の名前です。一体どんなフレンズが待ち構えているのか気になる川名ですが……。

意外なことに「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしき川を見つけられませんでしたが、「西蝦夷日誌」にはちゃんと記載がありました。

(一丁廿五間)トノフトマナイ、(三丁三十間)ヲフイヲマフ(岩岬)名義、燒石有る義也。(六丁五十間)ケマフレ、(六丁廿八間)トレフウシ(小澤)、蕎麥葉貝母(ウバユリ)多き義也。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)時事通信社 p.230-231 より引用)

また「再航蝦夷日誌」と丁巳日誌「天之穂日誌」にも「ケマフレ」と記録されていました。古くから「ケマフレ」と認識されていた、と見て良さそうですね(となると「東西蝦夷山川地理取調図」に見当たらないのが謎ですが)。

永田地名解には次のように記されていました。

Kema hūre  ケマ フーレ  赤脚 岩脚赤シ故ニ名ク

ふむふむ。kema は「足」で、hure は「赤い」ですね。となると hure-kema となっても良さそうなものですが、kema-hure で「足・赤い」となるのですね。

「赤岩」と「ケマフレ」

山田秀三さんの「北海道の地名」にも、次のように記されていました。

赤岩岬 あかいわざき(ケマフレ)
 雄冬市街から約 2 キロ北の岬,地名はケマフレである。永田地名解は「ケマ フーレ kema-hure。赤・脚。岩脚赤し。故に号く」と書いた。この辺は赤い岩層の多い処だったからの名。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.123 より引用)

大正時代の地形図を見ると、このあたりは「岩尾」という大地名があり、その中の小地名として「ケマフーレ」と「赤岩」が描かれていました。ケマフーレは赤岩岬のすぐ南で、赤岩は赤岩岬の少し北に描かれています。だとすると、意訳地名と音訳地名が並んだことになりますね。

ただ、道庁の「アイヌ語地名リスト」を見ていると、コメントとして「他説もあり、特定しがたい」との註がつけられています。手元の資料を見た限りでは「他説」を見つけられず、ちょっと気になっています。

岩老(いわおい)

iwaw-o-i
硫黄・そこにある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

国道 231 号は赤岩岬のあたりからトンネルと覆道が連続していますが、最も北に位置する「岩尾トンネル」を抜けた先が「岩老」です。古い地図では「岩尾」が大地名で、その中の小地名として「岩老」が描かれていました。また「岩尾トンネル」のある岬が「岩生岬」として描かれていたので、「岩生」で「いわおい」と読ませる流儀もあったのかもしれません。

この「岩老」も、不思議なことに「東西蝦夷山川地理取調図」に見当たらないほか、永田地名解にもそれらしき記述が見当たりません。ただ「西蝦夷日誌」にはしっかりと記載されていました。「東西蝦夷山川地理取調図」との整合性を確認する意味でも、ちょっと長めに引用します。

(四丁四十間)此邊轉太石濱、モシリヤ(小灣)、上は岩壁、前に小島有、種々の海藻幷に介類多し。(五十七間)カハルシヤ(出稼多し)、過て(三丁廿四間)イワイヲ泊〔岩尾〕(またイワヲイとも云り)、上に温泉有りしと、依て號く。(貳丁廿六間) ユートマリ(小灣)、温泉の末流此處へ落來る也。(三丁)アツヲロウシ(小川)名義、楡皮を浸し置しと云義。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(下)」時事通信社 p.231 より引用)

この中で「東西蝦夷──」で確認できるのは「モシリヤ」で、あと「アツヲロウソ」はおそらく「東西蝦夷──」で「ヲツヲロウシ」と描かれている川のことだと考えられます。「モシリヤ」と「ヲツヲロウシ」の間に描かれているのは「ユーナイ」という川だけですので、「岩老」を「ユーナイ」と解釈する流儀があったのかもしれません。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

この辺行って確かめていないのであるが,あるいはイワウ・オ・イ「iwau-o-i 硫黄が・ある・もの(川)」のような名だったのではなかろうか。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.123 より引用)

そうですね。iwaw-o-i で「硫黄・そこにある・もの(川)」と考えて良いかと思います。

日方泊川(ひかたどまり──)

pikata-tomari?
南西(風)・泊地
(? = 典拠未確認、類型多数)

国道 231 号を更に北上すると、「汐岬トンネル」、「日和トンネル」、「湯泊トンネル」(あ、「ユートマリ」ですかね)を抜けて、「銀鱗の滝」の近くで「黒岩トンネル」に入ります。黒岩トンネルの長さは 770 m ですが、次の「日方泊トンネル」(2,900 m)と覆道で一体化しているため、体感としては 5 km 級の長大トンネルのように感じられます。

「日方泊トンネル」は「日方岬」の南を通過して、「日方泊川」の下をくぐり抜けています。昔は河口付近を国道が通っていて、日方泊川には橋がかかっていたようですが、安全面(とコスト面?)を考慮して長大トンネルに切り替えたみたいですね。

「日方泊」がアイヌ語に由来するかどうかは議論の余地が……殆ど無いような気がしてきました(汗)。tomari(泊地)は和語からの移入語彙ですし、「南西風」を意味すると考えられる pikata も和語に由来すると考えられるためです。

改めて地形図を見てみると、このあたりで南西からの風よけになりそうな地形は「日方岬」くらいなんですよね。また(少し距離はあるものの)川も流れているので、荒天時の避難所としては重宝されたと考えられます。pikata-tomari は「南西(風)・泊地」と解釈して良いかと思います。

注意すべき点としては、pikata-tomari 自体が限りなく一般名詞に近いということで、たとえば丁巳日誌「天之穂日誌」にも「ヒカタトマリ」という地名が記録されていますが、これは現在の「雄冬港」を指している可能性が高いと考えられます。もしかしたら……この「日方泊」も移転地名なんですかねぇ……?

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