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アイヌ語地名の傾向と対策 (792) 「朱文別川・舎熊」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

朱文別川(しゅもんべつ──)

supun-pet?
ウグイ・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

増毛町舎熊の西側を流れる川の名前です。かつては「朱文別」「朱文別沢」という地名があり、「朱文別駅」もありましたが、現在はいずれも無く、川の名前としてのみ残っています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「シユフンベツ」という名前の川が描かれています。明治時代の地形図にも「シュプンペッ」という名前の川が描かれているほか、永田地名解にも次のように記されていました。

Shupun pet  シユプン ペッ  桃花魚(ウグヒ)川 「シモンベツ」ト呼ブハ訛リナリ

supun-pet で「ウグイ・川」だ……というのは概ね想像通りの解でしょうか。「シュプンペッ」に「朱文別」という字が当てられて、それに引きずられる形で読みが「しゅもんべつ」になった……と考えたのですが、実はそう単純な話でも無さそうだったりします。

「西蝦夷日誌」には「シユフンベツ」とありますが、なぜか「春別」という頭註がつけられています。丁巳日誌「天之穂日誌」には「シユフンヘツ」とあったのですが、「再航蝦夷日誌」にはなんと「シユモンベツ」と記録されていました(!)。

「再航蝦夷日誌」が記されたのは「朱文別」という漢字表記が成立する以前のことだと考えられるので、なぜ「シユモンベツ」となったのか謎です。また「永田地名解」にも「『シモンベツ』と呼ぶは訛りなり」との註があり、明治の頃にも「シモンベツ」と呼ぶ流儀があったことを思わせます。

simon-pet で「右の・川」と解釈すれば良いのか、あるいは si-mon-pet で「主たる・静かな・川」と解釈すれば良いのか……。それともやはり本来は supun-pet だったのか、色々と謎ですが……。

舎熊(しゃぐま)

sat-kuma?
乾いた・物干し棒
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

増毛町箸別と阿分の間の海岸部の地名です。国鉄留萌本線に同名の駅がありましたので……久々に「北海道駅名の起源」を見てみましょうか。

  舎 熊(しゃぐま)
所在地 (天塩国) 増毛郡増毛町
開 駅 大正 10 年 11 月 5 日(客)
起 源 アイヌ語の「サックマ」、すなわち「イ・サッケ・クマ」(魚を干すさお)から出たものであある。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.104 より引用)

ふーむ。続いて永田地名解も見ておきましょうか。

Sat kuma,=Shan kuma サッ クマ  魚乾棚 山ノ形狀ニ名クト云フ○舎熊村ト稱ス
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.392 より引用)

どちらも同じことを記しているように見えるのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」を見ると、若干解釈がブレる余地があるようです。

場所がら海岸に乾場があったからの名だろうが,永田氏が山の形から出たというのも,アイヌ古老の伝承らしい。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.126 より引用)

sat-kuma は「乾いた・物干し棒」と解釈できます。この地名について、
てっきり永田方正の記したように「物干し棒のような形の山」に由来すると早合点していたのですが、確かに場所柄、魚を干すのに使う「物干し棒」のある場所……とも解釈できてしまいますよね。

頂上が平らに伸びた山を,よくクマ・ネ・シリ(kuma-ne-shir 物乾し棚・のような・山)という。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.126 より引用)

「シヤクス」説

そうですね。てっきり舎熊の南側の山が「物乾かし棚」のような、台形のような形をしていることに由来するのかと思ったのですが……。

最後に、「再航蝦夷日誌」にちょっと気になる記述があったので引用しておきます。

此処小廻りて
     シヤクス
シヤクマとも云る。何れか是なりや。二八漁屋有。夷人小屋有。此辺皆転太石浜。又此処より上なる山へ凡一りと聞。
松浦武四郎・著 吉田武三・校註「三航蝦夷日誌 下巻吉川弘文館 p.77 より引用)

地名は「シヤクス」で、またの名を「シヤクマ」と言うんだよ……と書いているようにも見えます。続く「蝦夷行程記」には「シヤクマ」とあるので、一体どっちが正しいのか疑問に思えてきたりもしますが……。ただ本文のほうを見る限り、「シヤクマ」と「シヤクス」という流儀があった、と読めます(単純に「マ」が「ス」の誤字、という話では無さそうに思えます)。

もし「シヤクス」だとすると、sa-kus で「浜の方・通行する」となります(札幌の「サクシュコトニ川」と似てますね)。舎熊の東には「信砂川」が流れていて、川沿いの道道 94 号「増毛稲田線」は松浦武四郎も歩いたとされる「信砂越え」の系譜を継いだ道とも言えます。留萌側から見て舎熊のあたりを「浜通り」と呼んだとしても、違和感は無いように思えるのです。

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