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アイヌ語地名の傾向と対策 (835) 「トドロケン川・ユクシュナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

トドロケン川

tu-utur-{un-ke}??
峰・間・{そこに入れる}
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

徳志別川の西支流で、水源は歌登山の東側にあります。地理院地図には川として描かれていますが、川名は記されていません。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トントラウンケ」という川が描かれていました。ただ「ユツクシナイ」よりも上流側の川として描かれています。「トントラウンケ」が「トドロケン川」のことと考えるのは少々無理があるようにも思えますが、他にそれらしい記録が見当たらないこともあり、何らかの関連性があると考えるべきかもしれません。

永田地名解には、「トントラウンケ」と「トドロケン川」の間のミッシング・リンクを繋げるかもしれない内容が記されていました。

Tondoroshike  トント゚ロシケ  水ナキ小川

永田地名解、時折「地名解」の体をなしてない(意味を説明していない)時があるのですが、今回もそんな感じがしてきました。それはさておき、明治時代の地形図を見てみると、「トントロシケ」は現在の「トドロケン川」よりも南側(上流側)の「東支流」として描かれていることに気づきました。「東西蝦夷──」では「西支流」として描かれているため、既に川名の「漂流」が始まっていたと考えられそうです。

「トントラウンケ」ですが、tu-utur-{un-ke} で「峰・間・{そこに入れる}」と読めそうな気がします。そう仮定した上で地形図を見てみると、現在の「トドロケン川」のことを指していたとも考えられそうなんですよね。

ただ、峰(尾根)の間を流れる川は他にもありますし、明治時代の地形図が「トントロシケ」として描いたあたりにも tu-utur-{un-ke} と呼べそうな地形があります。こればかりは何とも言えないですね……。

ユクシュナイ川

yuk-us-nay
鹿・多くいる・川
(典拠あり、類型あり)

トドロケン川の南隣を流れる川の名前です。元々は徳志別川の西支流だったと思われますが、現在は徳志別川に合流する直前で北に向きを変えて、トドロケン川に向かっています。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ユツクシナイ」という名前で描かれていました。「竹四郎廻浦日記」にも詳細が記されていたので、引用しておきましょう。

 此川筋の後ろはテシホ川筋イコウシヘツと云に当ると。其河源迄種々の難所有と。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.326 より引用)

これは「トホシベツ」、つまり現在の「徳志別川」について記した部分ですが、徳志別川を遡ると天塩川筋の「イコウシヘツ」に出るとあります。実際に「徳志別川」を水源まで遡ると「函岳」の南側に出るのですが、分水嶺を越えると美深町の「ペペケナイ川」の流域に出ます。

「東西蝦夷山川地理取調図」で「イコウシヘツ」らしき川を探してみると、音威子府川の源流部に「イマウシヘツ」という川が見つかりました。ただ「イマウシヘツ」の向かい側は中頓別町なので、当時の地理認識が不正確だったか、あるいは未確認の「イコウシヘツ」があったのかもしれません。

二日上りてニセイケシユ(マ)と云、是ま刳木舟にて行と。其より歩行路字ユツクシナイ(小沢)、シユイカルウシ(小沢)、インカルウシ(小沢)等云辺り皆椴松・赤楊・樺木のみ。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.326 より引用)

なんだか「魏志倭人伝」を読んでいるような感じになってきましたが……。「ニセイケシヨマ」は「東西蝦夷──」にも最も上流側の支流として描かれています。徳志別川の上流部まで舟で二日かかるというのは理解できるのですが、この文面からは「ユツクシナイ」が「ニセイケシユマ」の先にあるように読み取れないでしょうか?

仮に「ユツクシナイ」が「ニセイケシユマ」の先にあったのであれば、「東西蝦夷──」の内容が根底から覆ることになってしまうのですが……。

ということで、現在の「ユクシュナイ川」が「ユツクシナイ」と同一の川であるかは少々疑わしくなりましたが、想定される意味は明瞭だと思われます。永田地名解には次のように記されていました。

Yuk ush pet  ユㇰ ウㇱュ ペッ  鹿川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解国書刊行会 p.441 より引用)

まぁ、そうでしょうね。yuk-us-nay で「鹿・多くいる・川」か、あるいは yuk-kus-nay で「鹿・通行する・川」だったかもしれません。

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