旭川行き 328D は和寒駅を出発しました。線路のすぐ近くを国道 40 号が通っていて、その向こうには学校の体育館のような形をした農業倉庫が並んでいるのが見えます。
和寒は米どころのようで、「JA 北ひびき」の「和寒ライスセンター」はなかなか熱いデザインのペイントがなされていました。それはともかく「北ひびき」という組織名?、周辺地域の JA が合併してできたネーミングだと思うのですが、今ひとつ由来が良くわからないものが多い印象が……。
328D の車内は、高校生(だと思う)の数が少なくなったものの、乗客はそれなりの数をキープしていました。GW 明けの平日というのも大きいのでしょうけど……。
長野政雄氏殉職の地
道央道の和寒 IC のあたりでは離れた位置を通っていた国道 40 号ですが、再び線路沿いに近づいてきました。
そして線路が見えてきました。この錆具合は安全側線っぽいでしょうか。
旭川行き 328D は速度を落とし待避線に入りました。間もなく塩狩駅に到着です。
縦長の「塩狩峠」の碑と、横長の石碑が見えます。
残念ながらブレてしまっていますが、これが「長野政雄氏殉職の地」の石碑のようです。
駅を見下ろす高台には、三浦綾子の旧宅を移設して改装した「塩狩峠記念館」が見えます。
塩狩駅(W37)
17:47 に 328D は塩狩駅に到着しました。駅舎の手前に構内踏切があり、その構内踏切の手前にホームがあります(千鳥式ホーム)。上下線とも構内踏切の手前を停車位置とすることで、上下列車の運転士が通票(タブレット)を速やかに交換できるようにした……ということなのでしょうね。
駅の利用者の利便性は二の次に思える構造ですが、通票交換を速やかに行うことで停車時間を短くすることができるので、乗客がメリットを享受できる構造とも言えます。
和寒駅には負けるかもしれませんが、塩狩駅にも「本場の味」が少なくとも 4 枚は存在するようです。
快速「なよろ」停車駅
328D が塩狩駅に到着してから 3 分ほど経った後、1 番線(本線)に快速「なよろ 5 号」がやってきました。2016 年 5 月時点のダイヤでは快速「なよろ」は 4 往復設定されていましたが、塩狩に停車するのは 1 日 1 往復のみだったようです。
快速「なよろ 5 号」が出発しました。列車交換があるので運転停車代わりに塩狩駅で客扱いするのか……と思ったのですが、同じく塩狩駅に停車する快速「なよろ 4 号」は交換列車が無さそうに見えるので、意図的に 1 往復のみ停車するダイヤ設定のようですね。
小説「塩狩峠」ゆかりの駅
ちなみにこの塩狩駅も、2016 年時点で一日平均乗車人員が「1 名以下」の「極端にご利用の少ない駅」にノミネートされていました。名寄以南で「1 名以下」の駅は他に北剣淵駅と北比布駅のみで、どちらも 2021 年 3 月で廃止されてしまいました。
ところが塩狩駅は、同じく廃止された下士別駅や東六線駅よりも利用が振るわないにも拘らず廃止を免れたどころか、快速が 1 往復停車するなどの厚遇を受けているように見えます。これは列車交換が可能な構造になっていて、実際に交換を行う列車が多いということと……
鉄道員殉難の地としては日本でトップクラスの知名度を誇ることもあり、やはり観光資源としても価値が高いと見做されている、ということなんでしょうね。
トンネルの無い分水嶺
塩狩峠はその名の通り「天塩川」の流域と「石狩川」の流域を結ぶ峠ですが、鉄道・国道・高速道路のいずれもトンネルを掘らずに通過できているという点でも奇跡的な峠の一つに思えます(名寄本線の「天北峠」や池北線の「釧北峠」など、類例も意外とあったのですが)。
そして峠の頂点近くに列車交換可能な駅があるということは、停車に伴うコストが比較的少なく済むというメリットもありそうな気がします(発車後は下り坂になるので加速が容易)。これは流石に考えすぎのような気もしますが……。
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