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石北本線ほぼ各駅停車 (16) 「相内」

東相内を出発すると、車窓には再び畑が広がります。西北見と東相内の間は市街地がほぼ一体化していますが、東相内と相内の間は市街地が途切れているんですよね。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2017 年 4 月~ 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、各種サービスの実施状況や利用時間などが現在と異なる可能性があります。

立派な農業倉庫が見えてきました。相内駅に到着です。

レンガ積みの農業倉庫は耐火性を考慮したもので、要は「機能ありき」のデザインなのだと思いますが、普通に渋くて格好いいですよね。

この「庫倉業農」の文字も、実に渋い……!

相内駅(A57)

相内駅に到着しました。ホームは進行方向右側です。

この農業倉庫は「相内 農業倉庫 第九」とあります。最初に見かけたものが「相内農業倉庫 第10」で、次に見かけたひと際レトロな感じのする倉庫が「相内農業倉庫 第一」とのこと。「第九」や「第 10」も外観はレンガ積み風ですが、これはレンガ積みの「第一」にインスパイアされたデザインなのかな、と想像してみました(「第九」や「第 10」はタイルっぽい感じがするので)。

相内駅の 2 番ホームには「特別快速『きたみ』」に乗車するお客さんの姿が。右側にホームがあるということは島式ホームである筈なのですが、駅舎と 1 番ホームは 1 番線(網走方面の本線)の向こう側にあります。要は東相内駅とほぼ同じ構造で、ちょうど 180 度点対称の位置にある……と見て良さそうですね。

もちろん東相内駅とはびみょうに異なる点もあって、東相内駅の 1 番ホームと 2 番ホームはそれぞれの先端同士が構内踏切で接続していましたが(オフセット配置)、相内駅の 2 番ホームはやや前(遠軽寄り)に位置していて、構内踏切は 2 番ホームの真ん中あたりに設けられています。

そのため、降車客は少し後ろ(網走寄り)にある踏切まで戻って線路を横断する必要があります。ワンマン列車は最前部にあるドアで乗降するので、ホームが遠軽寄りにあるメリットは無さそうな気がするのですが……(改札口から駅員さんが 2 番ホームを見守りやすい構造ですが、1992 年に完全無人化されてしまったので)。

レンガ積みっぽいデザイン

相内駅の駅舎はなかなか立派なもので、改札口のある真ん中の部分が赤いのが印象的ですね。

実はこの真っ赤な部分も、レンガ積みっぽいデザインになっています(あっ、お見送りの方と目が合ってしまいました……)。やはり駅前の農業倉庫が相内駅のアイデンティになっているような感じでしょうか。

この駅舎、正面からは箱型に見えますが、実はこんな構造になっています。

まるでル・マン 24 時間レースを走る LMP1 クラスのスポーツカーみたいですね(エアインテークとリアウイングの間のフィンっぽい)。建物を箱型に見せかけることに何のメリットが? と思ったのですが、落雪防止というメリットがあるんでしょうか……?

謎のウッドデッキ

立派な駅舎のある相内駅ですが、信号小屋っぽい建物は別に存在しています。あれ、1 番線にも遠軽側にミラーがある……ということは、1 番線からも遠軽方面に出発できるっぽいですね(Wikipedia にもそう書いてありました)。

1 番線のホームは 4 両分のようで、先端部は鉄パイプで支えられたウッドデッキ構造でした。

航空写真で見ると、確かに 1 両分だけウッドデッキになっているように見えます(「相内駅前西駐輪場」の南に信号小屋っぽい建物があるのですが、その南西にウッドデッキ部分が見えます)。

2 番ホームはもともと 4 両分あるように見えるので、もしかしたら構内踏切を駅舎側に移設するために 1 番ホームを 1 両分遠軽側に寄せたのかな、などと想像してみました。ただ、1977 年頃の航空写真を見てみると、1 番線の列車が今よりも遠軽側に停車しているような気も……。構内踏切は逆に網走側に移設されたのかも、とすら思えてきました。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

1 番ホームの最後部がウッドデッキなのは、ホームを 3 両分に削減した → 再度 4 両分に延伸した、だけかもしれません。

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