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北海道のアイヌ語地名 (1117) 「恋問・フラサカオマナイ・フンベオマナイ沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

恋問(こいとい)

koy-tuye
波・そこで切る
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

釧路大楽毛おたのしけ白糠庶路しょろの間にある道の駅「しらぬか恋問」は国道 38 号のオアシス的な存在として親しまれていますが、「恋問」の地名の元になったと思しき「コイトイ川」は、JR 根室本線・庶路駅のすぐ東を流れています。

現在のコイトイ川は、庶路川に合流して海に注いでいますが、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) では「シヨロヽ」と「コイトイ」はそれぞれ独立して海に注ぐように描かれています。

更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) には次のように記されていました。

 国鉄庶路駅の東側の湿地帯。稚内市の声問と同じ、波が崩す所の意。

はい。稚内の「声問」や苫小牧の「小糸井」と同様に koy-tuye で「波・そこで切る」と考えて良さそうな感じですね。

「東蝦夷日誌」(1863-1867) には次のように記されていました。

(十丁四十間) コイトフ(沙濱、小川)上に細き沼有。此處え東風強き時は波浪打込故になづくと。
松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)時事通信社 p.302 より引用)

ふむふむ。「波浪打込故に」とあるので、やはりこれも koy-tuye と考えて良さそうな感じでしょうか。

更に時代を溯ると、加賀家文書「クスリ地名解」(1832) にも次のように記されていました。

コヱトヱ コヱ・トヱ 浪・切れ(越し)
  昔シヨロヽ川浪にて此所え切れ相成候故名附。尤も今は川尻別に御座候。
(加賀伝蔵・著 秋葉実・編「加賀家文書」北海道出版企画センター『北方史史料集成【第二巻】』 p.256 より引用)

おおお。どうやらこの記述によると、加賀伝蔵はかつて庶路川と恋問川の河口がつながっていた……と聞いていて、ただ既に両河川の河口は独立していたように読み取れます。これは「東西蝦夷山川地理取調図」において「シヨロヽ」と「コイトイ」が独立して描かれていることとも符合しますね。

「恋問」は koy-tuye で、河口に溜まった流砂を波が切り崩す(場所)だと見て良いかと思われます。

フラサカオマナイ

{masar-ka}-oma-p
{海岸の草原}・そこに入る・もの(川)
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

庶路駅の北に標高 50 m 弱の丘があり、そのあたりが「フラサカオマナイ」です。まずは基礎情報として「角川日本地名大辞典」(1987) を見ておきましょうか。

 ふらさかおまない フラサカオマナイ <白糠町>
〔近代〕昭和46年~現在の白糠しらぬか町の行政字名。もとは白糠町大字庶路村の一部,フラサカオマナイ。

この後に「地名は──」と続くのを期待していたのですが、残念ながら「明治末期から良材を切り出し」とあり、地名解はありませんでした。

さてどうしたものか……と思ったのですが、「北海道実測切図」(1895) を見てみると、現在「井出川」とされる川の位置に「マサラカオマㇷ゚」と描かれていました。「マサラカオマㇷ゚」と「フラサカオマナイ」ですが、「マ」を「フ」と誤読して、「サラ」を「ラサ」と読み間違えた……可能性が高いのではないかと。

「マサラカオマㇷ゚」であれば {masar-ka}-oma-p で「{海岸の草原}・そこに入る・もの(川)」と読めます。「{海岸の草原}・そこにある・もの」と読むことも理屈の上では可能かもしれませんが、「海岸の草原にあるもの」は「海岸の草原」のような気がするので、やはり -p は「もの(川)」と考えるべきかな、と。

なお、フラサカオマナイの東に「庶路マサルカ」という地名が現存しています(わざわざ「庶路」を冠しているのは、シラリカップ川沿いにも「マサルカ」という地名が存在していたから、かもしれません)。「庶路マサルカ」の「マサルカ」も {masar-ka} で「{海岸の草原}」と見て良いのでしょうね。

フンベオマナイ沢

humpe-oma-nay
クジラ・そこにいる・川
(記録あり、類型あり)
(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

コイトイ川の東支流である「古川」を東に溯ると、釧路市との境界附近で北から「フンベオマナイ沢」が合流しています。国土数値情報では「フンペオマナイ川」となっていますが、まぁ、誤差の範囲ということで。

松浦武四郎の「西蝦夷場所境調書  弐」には、「クスリ シラヌカ 領分境」として、次のように記されていました。

当時は此境を誰しる者も無れども、往古は浜なるフンベヲマナイと申処に有之候よし。
松浦武四郎・著 秋葉実・翻刻・編「松浦武四郎選集 一」北海道出版企画センター p.208 より引用)

あー、これは凄く良いヒントをもらいました。「フンベヲマナイ」は humpe-oma-nay で「クジラ・そこにいる・川」なのですが、現在の「フンベオマナイ沢」は直接海に注ぐ川では無く、クジラが上がるとは考えにくい位置にあります。

ただ「往古は浜なる」という認識があったのであれば、かつては直接海に注いでいて(あるいは大楽毛川に注いでいた可能性も)、近くにクジラが漂着したことがあったのかもしれません。

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