埼玉県
国道 4 号をひたすら南下します。ついに「新 4 号」でも「草加バイパス」でも無くなったのですが、この「昔ながらの国道 4 号」は、一体どのように呼べばいいのでしょう……? あ、そうか。よく考えたらこのあたりの国道 4 号は「五街道」のひとつ、「日光街道…
国道 4 号「草加バイパス」で「東京」に向かいます。「東京外環」の草加 IC まであと 1 km の地点までやってきました。「外環」を「そとかん」と読ませるケースは割と良くありますが、東京の「外環」は「がいかん」と読むんですよね(確か「外郭環状線」ゆえ…
越谷市の「元荒川橋」にやってきました。その名の通り、ここで元荒川を渡ります。「元荒川」自体も名前の通りで、かつては荒川の本流だったそうで。 国道 4 号に話を戻しますと、これまでの「新 4 号バイパス」は、ずっと国道 4 号の東側(の田園地帯)を経…
茨城県猿島郡五霞町(ごかまち)には、圏央道の「五霞 IC」があります。圏央道の IC ができたおかげで知名度も随分とアップしたような気がするのですが、実際のところはどうなのでしょう? この五霞 IC、圏央道と新 4 号バイパスが接続するということで、名…
新青森行きの「はやぶさ 1 号」は、6:57 に大宮駅に到着しました。1 分停車です。 まだ朝の 7 時にすらなってませんが、早くもデザートを頂きます。 これは崎陽軒のシウマイ……なワケは無くて、りんごのパウンドケーキですね。 りんごジュースとりんごのパウ…
イザベラ・バード「日本奥地紀行」を読む(第36回) 1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)は分量が多かったからか、「日本奥地紀行」では「第六信」と「第六信(続き)」の二つに分割されていました。ここからは、「第六信(続き)」(本来は「第…
羽生行きの電車に乗っていると、踏切待ちしているこんな車を発見。 幼稚園の送迎バスだったと思うのですが、屋根の上に煙突らしきものがあったりして……。これ、蒸気機関車を模しているんですよね。秩父鉄道でも週末を中心に蒸気機関車が牽引する「パレオエク…
もう少しだけ「三峰口駅」での話題を続けます。 さっきまで、この電車に乗って三峰口までやってきました。車歴 40 年以上の大ベテランで、日本ではここでしか見ることができない車両でした(現在は退役済み)。ちなみにこの電車は 3 両編成なのですが、不思…
三峰口からは、秩父鉄道で折り返して、今度は終点の羽生(はにゅう)まで向かうことにしましょう。 指差確認! 次の羽生行きは、さっき乗車した電車の折り返し……ではなくて、向こう側の 3 番線から発車するほうが先発のようです。 三峰口は終着駅ですが、駅…
三峰口駅は、「関東の駅百選」に選定されているんですね。 そして、旧車が保存されている「鉄道車両公園」は年中無休で入園無料とのこと。つまり、経費は全部持ち出しなんですね。頭が下がります《使い方に注意》。 おっと。久々に「使い方に注意」が出まし…
「芝桜駅」こと「御花畑駅」から、終点の「三峰口駅」に向かって各停に乗車しています。「影森駅」「浦山口駅」の次は…… 「武州中川駅」です。「武蔵」ではなくて「武州」なんですね。ぶしゅう。続いては…… 「ぶしゅう ひの駅」です。「武州日野」ですね。駅…
三峰口行きの電車に乗車しました。車内は昔懐かしい感じのロングシートです。 天井には……扇風機しかありません。これまた懐かしいですねぇ。 懐かしの「国鉄マーク」 その扇風機をよーく見てみると……。 こ……これ……これは……! そう、懐かしの「国鉄マーク」で…
ホーム裏の路地を歩いて行くと…… ここが駅の入口のようですね。それにしても、これじゃあ「御花畑駅」なのか「芝桜駅」なのか、あるいは複数の駅が併設されているのかわからないですよね。 謎の「芝桜駅」 ちょっと気になったので、Wikipedia を見てみましょ…
西武秩父駅と秩父鉄道の線路は一応繋がっているのですが、互いの駅はほんの少し離れているので、その間は歩いて移動しないといけません。まぁ、十分もかからないのですけどね。 (この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)…
そろそろ北海道以外のネタも……ということで。ふらーっと日帰りで行ってきた秩父への旅の話題を綴ってみます。例によってちょっと古めです(確か 2012 年の秋)。 秩父へはレッドアローで まずは西武池袋駅へと向かいます。 西武池袋から西武秩父までは、「特…
引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。 警官の姿 粕壁(春日部)の宿屋に泊まることになったイザベラですが、騒がしい同宿者や幾度となく繰り返される覗き見に辟易しつつ床につきます。しかし、そこでも「事件」が起こ…
引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。 私的生活の欠如 イザベラの奥地への旅で最初に投宿したのが「粕壁」(春日部)でした。その時の様子を、イザベラは実に詳らかに記しています。 伊藤は、このときだけ私の指示を受…
引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。 粕壁の宿屋 東京を出て、農村を観察し、茶屋で一服した後、イザベラ一行は粕壁(春日部)に到着しました。 私たちはよく人の往来する街道に沿って粕壁まで水田の間を一日中旅をし…
引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。 稲作 イザベラ一行は、やがて街道筋を離れ、農村部にやってきます。 何百人という男女の姿も、膝まで泥につかっていた。というのは、この関東平野は主として大きな水田地帯からな…