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アイヌ語地名の傾向と対策 (24) 「雄冬・床丹・浜益」

いい感じで南下中です。少しずつゴールが近づいてきました。

雄冬(おふゆ)

ufuy
燃えている
(典拠あり、類型あり)

雄冬岬」という、道路の難所があるところです。この一帯の道路が開通したのは 1980 年代になってからで、それまでは、陸路で留萌・増毛に向かうには、深川のあたりを経由してぐるっと回っていくしか方法が無かったようです。

「雄冬」は ufuy(ウフイ)に由来するとのことですが、意味は「燃えている」なのだとか。おそらく本来は「燃えている×××」だったのだと思いますが、下略されてしまって今では知る由も無し、ということのように思えます。

雄冬岬はどこにある?

少々気になるのが、「そもそも雄冬岬はどこにあったのか?」という問題です。山田秀三さんは松浦武四郎の「西蝦夷日誌」から、このあたりには、南から tam-pake(タㇺ・パケ、意味は「刀・頭」)、ufuy(ウフイ、意味は「燃えている」)、kamuy-apa(カムイ・アパ、意味は「神・戸」)そして inau-sir-etu(イナウ・シレトゥ、意味は「木幣・岬」)という地名があった、としています。

これらの地名は、永田方正の「北海道蝦夷語地名解」にも同じ順序で採録されているため、ほぼ実在したのは間違い無いと思われます。

「西蝦夷日誌」によると、inau-sir-etu は境界のあるあたりであると読み取れるようです。そして、inau-sir-etukamuy-apa の間は六町三十三間、kamuy-apaufuy の間が九町五間、ufuytam-pake の間が十七町廿(二十)間だった、と記されているのだそうです。だんだん魏志倭人伝を解読するような話になってきていますが、inau-sir-etu を起点にそれらしい地点を探し出すと、上の地図のようになります。

実際、tam-pake と比定されたあたりに「タンパケトンネル」があるので、おそらく大きく間違ってはいないと思います。となると「雄冬岬」の語源となった「ウフイ」という地名があったのはこのあたりということでしょうか。地図で「雄冬岬」と書かれているところと、「雄冬岬展望台」と書かれているところの、ちょうど中間くらいの地点のようですね。

床丹(とこたん)

tu-kotan?
廃・村
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

「コタン」という単語は、「カムイコタン」などで有名ですが、「」や「集落」と言った意味です。ということで問題は「と」なのですが……。

山田秀三さんも「北海道の地名」にて、次のように記しています。

一番多いのがトゥ・コタン(廃村)で,時にト・コタン(沼・村)もあったらしい。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.121 より引用)

至極妥当な解釈のように思えます。「床丹」も tu-kotan と考えて良さそうです。ちなみに「トコタン」という地名は、他にも釧路町別海町厚岸町島牧村にもあるそうです。他にも改称されてしまったものが佐呂間町や八雲町にもあったとのこと。思った以上にメジャーな地名なんですね。

浜益(はまます)

以前に「浜益については日を改めて」と書きましたが、日が改まったので続けます(←)。昨日「増毛」の項で書いた通り、ここがもともと「ヘロㇰカルシ」という名の土地で、やがて通称の「マシケ」となります。その後 22 歳でソウルオリンピック東ドイツ代表として出場し、見事金メダルを獲得します(←)。その 2 年後にプロボクサーに転向し、1996 年に引退しました。Sarah Brightman とのデュエットで一躍有名になった Andrea Bocelli の "Time to say goodbye" は、ボクシング界を引退する Henry Maske に捧げられたものです。

……おかしい(←)。いつの間にかヘンリー・マスケ(ボクサー)の話になってますね(←←)。話を元に戻しましょう。いや、増す毛、じゃなくてマスケとボチェッリの話も面白そうではあるのですが。

「マシケ場所」分割民営化

松浦武四郎の「再航蝦夷日誌」によれば、もともとの「マシケ場所」は現在の「浜益」や「増毛」を包含する広いエリアだったものが、天明5年(1785 年)に「マシケ場所」と「ハママシケ場所」に分割されたのだとか。

「──場所」というのは、もちろん相撲大会のことではなく、知行地のことです。「場所」の運営を商人にアウトソースしたのが、いわゆる「場所請負制」となります。

さて、では「ハママシケ」の「ハマ」はどこから出てきたのでしょうか。東京・新宿から甲府に向かう JR の特急列車は「かいじ」という名前ですが、多客期(っていつ?)には横浜から甲府・松本に向かう臨時特急「はまかいじ」というものもあるそうです。……明らかに関係なさそうですね。

とりあえず角川

とりあえず「角川──」(略しすぎ)を見てみましょうか。

地名の由来には,ハマヽシケ場所の分立に際し,それまで当地にマシケ場所の出張運上屋があったことから和人がマシケに浜の時を加えたとする説と,アイヌ語のアママシケ(米を背負うの意)による説とがある(蝦夷地名考并里程記)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1188 より引用)

「アママシケ」は amam-sike ですね。ちなみに、松浦武四郎の「西蝦夷日誌」や上原熊次郎地名考には「アママシュケ」で amam-suke 説が記されているとのこと。意味は「穀物を・煮炊きする」とか。

もっとも、山田秀三さんは「アママシュケ」説には懐疑的で、後付けの解釈ではないかと見ていたようです。妥当な考え方だと思います。

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