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アイヌ語地名の傾向と対策 (249) 「ルサ川・トッカリムイ・オショロコツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ルサ川

ru-e-san-i
道・そこで・下りる・ところ
(典拠あり、類型あり)

羅臼町北浜の「知床橋」のあたりで海に注ぐ川の名前です。ルサ川を遡るとやがて地形図に「ルサ乗り越え」と記された鞍部に到達して、その先を下りてゆくと斜里町の「ルシャ川」にたどり着きます。知床の東西には何故か似た地名が多いのですが、この「ルサ川」「ルシャ川」の類似性は「峠道の川」としてのネーミングだけに、似ているのも当然なのかな、と思ったりします。あ、これってネタバレですかね?(汗)

というわけで、今日も「羅臼町史」から行ってみましょう。

○ルシヤ
羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.58 より引用)

あららら(汗)。「ルシャ」は斜里側の地名で、羅臼側は「ルサ」だとばかり思っていたのですが……。これでますます、両方の地名が同根であると言えそうですね。

 北浜の一部、現在川に名が冠されている。夷名ルシヤニで「懸道下るとの」意味であり、またルは路、シヤはシヤクにて無なり、「是より先いよいよ断崖絶壁にて一歩も進み難き故に名づく」と知床日誌にある。
羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.59 より引用)

ほっほー……。現在は ru-e-san-i で「道・そこで・下りる・ところ」と解釈するのが通説と言われますが、ru-sak で「道・それを欠く」という解釈もあったのですね。羅臼ではなくて山向こうの斜里の話ですが、自動車が通行可能な林道はルシャ(ルシャ川河口部)で途切れているんですよね。

もちろん松浦武四郎の時代には自動車が通れる林道なんてありませんから、これは偶然の一致なのですが、ちょっと面白いですよね。

ちなみに、「東西蝦夷山川地理取調図」によると、現在の「ルサ川」の「ルサ乗り越え」に向かう川筋には「シヤリル」(あるいは「シヤクル」)と書かれています。「シヤリル」であれば「斜里に向かう道」っぽいですし、「シヤクル」であれば sak-ru で「夏・道」となりますね。

「シヤリル」を「あるいはシヤクル」としたのは、実はお隣の「キタルサ川」のところに「マタル」と記されているからなのですね。これは mata-ru で「冬・道」なのです。雪があるときに使える道……なんですよね。

更に言えば、斜里町側の「ルシャ川」も夏冬がはっきりしてまして、「ルシャ川」が「シヤククシルシヤ」で、支流の「ポンルシャ川」が「マタクシルシヤ」と記されていました。sak-kus-{ru-e-san-i} で「夏・通行する・ルシャ川」、mata-kus-{ru-e-san-i} で「冬・通行する・ルシャ川」となりますね。

トッカリムイ

tukar-moy
アザラシ・湾
(典拠あり、類型あり)

現在ではルサ川の東側にそびえる標高 560.8 m の山の名前としてその名を残していますが、元々は現在の「昆布浜」集落の旧名でした。

というわけで、今回も「羅臼町史」を見てみましょう。

昆布浜
○トツカリムイ
 字名改正により昆布浜と称す。夷名トカリムイにて「あざらし」のいる湾という意味。
羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.59 より引用)

ほうほう。アイヌ語で「あざらし」のことを「トッカリ」と言うのですが、tukar-moy で「アザラシ・湾」ではないか、とのことですね。基本的に異論は無いのですが、tukari-moy で「手前の・湾」と解釈することもできるんじゃないかな、と思ったりもします。

オショロコツ川

osor-kot
尻(の形をした)・窪み
(典拠あり、類型あり)

トッカリムイ岳の北側を流れて昆布浜の集落の近くで海に注ぐ川の名前です。では、今回も「羅臼町史」を見てみましょうか。

○オシヨロコツ
 北浜の一部、夷名ヲシヨロマウといい、知床日誌に「往古義経公此所に鯨の流寄りしを切て蓬の串に刺て焼居れらし時、其串折れて火の中に倒しや公驚き玉ひ、尻餅突玉ひしと云故事有」
羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.59 より引用)

ふむふむ。……え、もうお終いですか? 「羅臼地名解」という章の筈ですが、「ここで義経公が尻餅をついたんだって。うけるー」で終わってしまっています(汗)。

仕方がないので、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

 これは全道の海岸にあった文化神(道南ではオキクルミ,奥地ではサマイクル)の神話伝説を,義経判官に置き替えて語られたもので,オショル・コッ「oshor-kot(osor-kot)尻・跡(の凹み)」の意。ふつう海岸段丘が窪地型になっている処の名である。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.227 より引用)

おおっ、なるほどっ! osor-kot で「尻(の形をした)・窪み」なんですね。そう言えば知里さんの「──小辞典」にも次のように記載がありました。

osor-kot オそルコッ( オしョㇽコッ) osor は「尻」,kot は「くぼみ」,尻餅をついた跡のくぽみの意。各地に Osorkochi〔オそㇽコチ, オしョㇽコチ〕という地名があり,海岸の段丘を尻餅の跡の形にくりぬいたような窪地にその名がついている。
知里真志保地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.80 より引用)

ふむ、なるほど。山田秀三さんは「──小辞典」の見解を踏襲しているようですね。

またその前面には必ず Imanichi 〔イまニチ〕という名の岩が見出される。
知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.80 より引用)

ほうほう。もちろんまだ続きがあります。

それらには,たいてい昔人間の始祖である巨大な神様がクジラをヨモギの串にさして焼いているうちにその串が折れたのでびっくりして尻餅をついた跡のくぼみが「オそㇽ コチ」(その尻餅の跡のくぽみ)で,その時の串が折れて岩に化したのが「イまニチ」(その魚焼串)だという伝説がついている。
知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.80 より引用)

うわわ(笑)。山田秀三さんは「これは全道の海岸にあった文化神(道南ではオキクルミ,奥地ではサマイクル)の神話伝説を,義経判官に置き替えて語られたもので」と記していますが、「羅臼町史」の「わが町の伝説」という章を見てみると、「シヤマイルク(武蔵坊弁慶)この地に来たり」という一文が(原文ママ)。アイヌの伝説が義経伝説にすり替えられてしまったということが、この一文からも如実にわかりますね。

ちなみに、現在のオショロコツ川は「尻の窪み」の形をしているとは言いがたいのですが、実は

なお現在のオショロコッ川は昔のトカラモイ川で,それより一本南の沢が,元来のオショロコッ川なのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.227 より引用)

ということなのだそうです。このあたりは元来「トッカリムイ」という地名だったのは前述のとおりなのですが、それにしては「トッカリムイ」という名前の川が無いよなぁ……と思っていたところでした。これで納得です。

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