やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
十弗川(とふつ──)
池田町東部を流れる川の名前です。お隣の豊頃町には「十弗駅」がありますが、十弗駅の近くを流れているのは「トウフツ沢川」という名前の別の川です(ややこしい)。
戊午日誌「報登加智誌」には次のように記されていました。
又巳午と行こと凡五丁計にして
トフチ
左りのかた小川也。本名はトツプチと云よし。トツフは笹の事、チーとは焼たと云儀也。
え……? これは想定外の解が出てきました。top-chi で「竹・焼けている」と解釈したのでしょうか。
ここで、ちょいと脱線して「角川──」(略──)を見てみます。ちょっと気になることが書いてあったので……
とふつ 十弗 <池田町>
古くはトブチ・トブツ・「とおぶつ」などともいった。
ここまでは良いですね。ここは面白いことに古くから「トウフツ」ではなく「トフツ」あるいは「トフチ」と記録されています。そういった意味では「戊午日誌」でちょっと意外な解が出てきたのも一考に値するのかもしれません。
気になったはこの先でして……。
地名の由来には,アイヌ語のトツプチ(笹を焼いたの意)による説(戊午日誌), トープト(沼口の意)による説(北海道蝦夷語地名解)がある。
確かに、永田地名解の p.299 には「Tō putu トー プト゚ 沼口」と記されているのですが、これは浦幌町の「統太」のことなのですね。「角川──」の編者のうっかりミスの可能性があるかな、と思ったのでした。
さて本題に戻って「十弗川」ですが、山田秀三さんの「北海道の地名」には次のように記されていました。
昔この川口の西に沼があって,一緒になって十勝川に注いでいたので,その辺はトー・プッ(to-put 沼の・口)と呼ばれ,それに十弗と当て字された。そこの川なので十弗川である。
なぁんだ、結局 to-put で「沼・口」だったじゃん!……と全力でツッコミが入りそうですが、これは甘受せざるを得ませんね(汗)。
現在の十勝川下流域は一面に畑が広がる、いかにも「十勝らしい」景色が広がっていますが、かつては十勝川が派手に蛇行しては無数の三日月湖が存在するという、そんな場所でした。ですから to-put(沼・口)が二つ三つあったところでそれほど驚くことも無かった……ということになるのでしょうね。
毛根別川(けねべつ──)
十弗川の東支流で、道道 974 号「東台留真線」が並走しています。
中標津には「計根別」という地名がありますが、こちらは「毛根別」です。発毛剤の中でも別格なんだという矜持を感じますよね(感じません)。
地名解ですが、おそらく計根別と同じく kene-pet で「ハンノキ・川」なのでしょうね。知里さん風に解釈すると、これも元々は kene-us-pet で、-us が省略されて今の形になったものと思われる……となりそうな気がします。
コタノロ川
池田町の南側、豊頃町との町境のすぐ北側を流れる川の名前です(このあたりの町境は川とも分水嶺とも関係なく、直線基調のものが引かれています)。
「北海道地名誌」には次のように記されていました。
コタノロ川 豊頃町境を流れる旧利別川の左小支流。意味不明。
この "This is rock!" な感じ、更科さんの文章でしょうかねぇ……。
戊午日誌「報登加智誌」を解読した秋葉実さんによると、現在のコタノロ川は、戊午日誌で「ハンケテレケフ」と記されている川のことではないか、とのこと。「テレケフ」は terke-p で「飛び跳ねる・もの」だと考えられます(「ハンケ」は panke で「川下の」という意味)。何がどう飛び跳ねていたかは、今ひとつ良くわかりませんが……。
道北の美深町に「大手」という地名がありますが、大手の旧名が o-terke-ot-pe だったと言われています。
「ハンケテレケフ」がいつ頃「コタノロ」に変化したかですが、明治の頃の地形図に、既に「コタノロ」の文字が見られます。松浦武四郎がこのあたりを踏破した後すぐに改変されたのかもしれませんね。
肝心の地名解ですが、kotan-oro でふつーに「村落・の所」と読み解けそうな気がします。確かに他に典拠が無いので「意味不明」としたくなる気持ちも理解できなくはありませんが……。
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