イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十八信」(初版では「第二十三信」)を見ていきます。
美人
イザベラは宿泊先の女将さんとの交流を欠かさないようにしていた節が見受けられますが、上山でも例外ではありませんでした。
これは大きな宿屋で、客が満員である。宿の女主人は丸ぽちゃのかわいい好感をいだかせる未亡人で、丘をさらに登ったところに湯治客のための実にりっぱなホテルをもっている。
「丸ぽちゃの」の部分ですが、原文では buxom となっていました。「丘をさらに登ったところに」とありますが、これは駅の北西側なのでしょうね。現在は駅の南東側にも市街地が広がっていますが、古くからの市街地は駅の北西側のようです。
彼女には十一人の子どもがいる。その中の二、三人は背が高く、きれいで、やさしい娘たちである。私が口に出して賞めると、一人は顔を赤く染めたが、まんざらでもないようで、私を丘の上に案内し、神社や浴場や、この実に魅力的な土地の宿屋をいくつか見せてくれた。
イザベラ姐さんもなかなかやりますねぇ……(何が)。それにしても、イザベラが赤湯に泊まるのを諦めて上山まで足を伸ばしたのは、記録を見る限り望外の成功だったようですね。
どれほど長いあいだ宿屋を経営しているのか、と未亡人にたずねたら、彼女は、誇らしげに「三百年間です」と答えた。職業を世襲する日本では、珍しくないことである。
そう言えば、日本における「職業の世襲」はずっと昔から普遍的に行われているような気がしますが、これはやはり社会構造が封建的だったことを示しているということなのでしょうか。世襲の全てを否定するわけではありませんが、社会的な「階層」の硬直化を招いているのだとすれば、色々と問題であるような気がします。
私の泊まった部屋は、一風変わっている。ありふれた大きな庭の中の蔵座敷で、庭に浴場がある。一〇五度のお湯が中に入るようになっていて、私はそのお湯に心ゆくばかり浸る。
前回の記事にも記しましたが、105 °F は約 40.56 °C ですので、実に良い湯加減ですね。「庭に浴場がある」というのは部屋専用の風呂がある、ということでしょうか。一風変わっている……というか、かなり豪華な設備のような気がします。
昨夜は蚊がひどく、もし未亡人とその美しい娘たちが一時間もがまん強く扇であおいでくれなかったなら、私は一行も書けなかったであろう。
夜間に明かりを灯せば虫が寄ってくるというのは当然の理です。蚊の羽音は集中力を削ぐには十分すぎるほどの破壊力がありますが、旅館の女将さんとその娘さんの献身的なサービスがあったのですね。
私の新しい蚊帳はとても具合よく、ひとたび中に入れば、外でぶんぶんうなっている血に飢えた蚊どもの失望した様子が見えて楽しい。
イザベラ姐さんの上機嫌ぶりが良くわかりますね(笑)。そう言えば当時は「蚊取り線香」は一般的では無かったのでしょうか?
土蔵
温泉宿での快適な一夜の話題から、突如として「土蔵」の話題に移ります。「普及版」で文章をカットしたせいで繋がりがおかしくなったのか……と思ったのですが、どうやら最初からこの繋がり方だったようです。
これらの蔵《東洋に来ている英国人はゴウダウンと呼ぶが、マレー語のガドンから来た語》は耐火性の倉庫で、日本の町の中で最も目立つ特色の一つとなっている。
倉敷の「美観地区」でおなじみの景色かと思いますが、確かに日本の古い町並みの中では目立つ建物ですよね。恥ずかしながら「耐火性」についてはあまり考えたことが無かったのですが、なるほど一般的な和風建築と比べると「耐火性」についても考慮されていたのですね。
他がみな灰色の中でこればかりが真っ白いためであり、また他のすべてが火災に弱いのに、これだけはしっかりと丈夫であるからである。
「普及版」では「土蔵」の話題はここまででカットされていますが、「完全版」にはより詳細が記されていました。何故この内容が「普及版」でカットされたのかについては釈然としないものもありますが、単に「旅行記」にしては冗長に過ぎる、と考えたのかもしれません。カットされた内容はこんな感じのものでした。
宿屋や商店、それに中流階級(もし中流階級というものがあればだが)の家では、自分の蔵を持っているが、一方、貧しい階層や村落では、必要な安心をお金で借りることの出来る蔵がある。
現代でも「トランクルーム」のようなサービスがありますが、この手のサービスが部屋の狭さを補うものなのに対し、昔の「蔵」は「火事対策」としての側面がメインだったのですね。消防車や消火栓と言った近代的な消火インフラが整うのはもう少し後になってからのことで、当時の日本家屋は火災のリスクが今とは比べ物にならないくらい高かった、ということが容易に想像できます。
何度か私は、わずかの灰と煤だらけになったことを除けば、損なわれることなく建っている蔵だけを残して地域全部が燃え尽き、地面に崩れ落ちてしまったのを眼にしたことがあります。
消火能力の決定的な不足は「延焼」のリスクが格段に高まるわけで、集落全体が焼け落ちる「大火」も少なくなかったということなのでしょう。ただ、イザベラが実際に「眼にしたことがある」と言うくらいなので、我々が思っている以上に頻繁に起こっていたのかもしれません。
そして「損なわれることなく建っている蔵だけを残して」というのは見逃せない一文です。イザベラは「蔵」のことを「耐火性の倉庫」と記しましたが、本当に集落全体を焼き尽くす大火にも耐えるのですね……(驚き)。
戸と窓の扉は、チャッブ耐火金庫とそっくりの頑丈ですてきな鉄か銅で出来ていますが、幾つかの例外的な場合には内部は、漆くいで厚く塗り固められた木で出来ています。
「チャッブ耐火金庫」というのは、イギリスの有名な金庫メーカー「CHUBB 社」の金庫のことのようです。
「頑丈ですてきな鉄か銅」って何だろう……という疑問が湧くのですが、原文では iron or bronze, solid and handsome, となっているあたりでしょうか。時岡敬子さんの訳では「鉄またはブロンズ製でしっかりしており、また立派で」となっていました。
和訳にトライしたい方向けに、改めて原文を引用しておきましょう。
The doors and window shutters are iron or bronze, solid and handsome, much like the doors of Chubb’s fireproof safes, except in a few cases, in which they are made of wood thickly coated with plaster.
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