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「日本奥地紀行」を読む (104) 上山(上山市) (1878/7/14)

イザベラ・バードの「日本奥地紀行」(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。今日は引き続き、普及版の「第十八信」(初版では「第二十三信」)を見ていきます。

富の神(大黒)

美しく、また火災対策としてとても有用な「蔵」の構造についてガッツリ説明した部分が「普及版」では軒並みカットされ、ようやく残った部分にたどり着きました。

 私は蔵の階下の部屋に逗留している。しかしその鉄の扉は開いたままで、夜になるとそこに障子がたてられる。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行平凡社 p.223 より引用)

あ、唐突に「蔵」の話題に入ったと思ったら、壮大な前フリだったんですね。

私の部屋には少しばかりいろいろなものが置いてある。二つのりっぱな仏壇があり、そこから二体の仏が冷静な顔をひと晩中のぞかせている。一体は、女神観音の美しい像で、もう一体は尊い長寿の神の像であったが、これらが私に奇妙な夢を誘った。
イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.223 より引用)

という導入部からどんなストーリーが始まるのだろう……と思いたくなりますが、なんと「普及版」ではこの後に続く文章が全てカットされています(汗)。まぁ旅行記には必要のない文章だったのかもしれませんが、それにしてもバッサリとカットしたものですね……。

「普及版」でカットされた部分は、本来は以下のように続いていたのでした。

 あなたは私が2体の巨人のような像、すなわちお寺の門番である仁王についてお話したことを覚えていることでしょう。ほとんどすべての家の戸口に、小さくこれらの絵を刷ったものが貼られているのを見たことがありますが、蔵の戸にもまた貼られていました。これらの刷り物は泥棒除けに貼られているように思われます。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺中央公論事業出版 p.76 より引用)

「仁王門」と入力したいのに「臭うもん」と変換されて脱力した経験をお持ちの方も少なくないと思います(それがどうした)。それはそうと、仁王様の像(金剛力士像)は「お寺の門番」であり、泥棒よけの効果が期待されていたのですね(本来は「仏敵の侵入を防ぐ」らしいのですが)。

そして、イザベラが妙に敵視している「大黒様」の話題に移ります。上山の宿の入り口近くで見かけた「大黒像」は、これまでイザベラが見た中で最大級のものだったようです。

大黒さまは、たいてい陽気で、いたずらっぽい様子をしていますが、実際のところ、この神さまは多分すべての人間を導き、ほとんどの人を馬鹿にしているのでしょうからそうもあるでしょう。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.76-77 より引用)

イザベラも、大黒様の像に「バカにされている」と感じたのでしょうか。

この像の教える教訓はとうの昔に忘れられてしまっています。この像はその背の低さによって謙遜を教示しています。その袋は富を表し、手に人れたらしっかり確保しておくようにと命じているのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.77 より引用)

イザベラは牧師の家に生まれたこともあり、ガチガチのキリスト教徒でした。大黒様のような「まずは現世での利益をしっかり確保せよ」という考え方は、イザベラの生来の価値観とは相容れなかったのでしょうね。

商人、農民、すべての方便を求める人々は大黒に絶え間なく供養をしますので、供え物と香が絶えることはありません。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.77 より引用)

現代の日本においても、見返りを期待して政権与党に企業献金を行うケースが少なくないかと思います。一方で慈善目的での寄付は昔から低調なのが嘆かわしいですが、こういった日本人の本質はイザベラが旅した頃から大して変わっていないのだな……と思うと、より虚しく思えてしまいます。

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