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春の道北・船と車と鉄道で 2016 (19) 「鉄幹・晶子ゆかりの町」

「与謝天橋立 IC」の出口には、「与謝野町へようこそ」と描かれた看板が立てられていました。「鉄幹・晶子ゆかりの町」と書かれると、つい「本当かなぁ~」と疑いの目で見てしまうのですが……

ということで、与謝野鉄幹うぃきぺで確認してみましょう。

京都府岡崎町(現在の京都市左京区)に与謝野礼厳尚綗の四男として生まれる。父・礼厳は西本願寺支院、願成寺の僧侶であった。
Wikipedia 日本語版「与謝野鉄幹」より引用)

与謝野鉄幹自身は、京都は岡崎公園のあたりの生まれだった、ということになりますね。どうやら「与謝野」という姓がポイントのようで……

礼厳は庄屋の細見儀右衛門の次男として生まれたが、京都府与謝郡(現在の与謝野町字温江)出身ということから、明治の初めより与謝野姓を名乗るようになったという。
Wikipedia 日本語版「与謝野鉄幹」より引用)

与謝野町字温江(あつえ)は、かつての与謝郡加悦町温江のようですね(加悦鉄道の加悦駅から少し東に行ったあたり)。えーと、要するに「与謝野鉄幹のお父さんが与謝郡出身」というだけで、与謝野鉄幹与謝野晶子夫妻とはあまり繋がりが無いような感じも……? やはり疑ってかかったのが正解だったようです(汗)。

クアハウス岩滝」推し

国道 176 号で「岩滝口駅」方面に向かい、左折して国道 178 号に入りました。左側は「日本冶金工業製造所」のようです。

この工場は宮津市与謝野町に跨って立地しているようで、途中で与謝野町カントリーサインが見えてきました。

与謝野町は「与謝郡岩滝町」「与謝郡野田川町」「与謝郡加悦町」が合併して成立した町です。このカントリーサインは「クアハウス岩滝」を全面的にフィーチャーしていますが、もしかしたら「与謝野町」の下に「岩滝町」の文字が隠れているのかもしれませんね。

えええ……

岩滝に向かっているのは、近畿地方最北端の「経ヶ岬」に行ってみようか、と思い立ったからなのですが、なんとこれは……。国道 178 号が伊根町蒲入(かまにゅう)と京丹後市経ヶ岬の間で通行止めとのこと。これはどうしたものか……

物持ちの良さそうな青看板が見えてきました。どうやら海沿いに新しい道(府道 53 号「網野岩滝線」とのこと)を建設したみたいで、伊根に向かう車輌をそちらに誘導したいようです。

直進した先の道は相当狭いようで、入ってきてほしくない、ということなんでしょうね。国道 178 号も決して広いとは言えないので、岩滝の市街地に用のない車は海沿いの府道 53 号を通ってほしい、ということなんでしょうね。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

結果的には海沿いを回ったほうが良かったのかもしれませんが、そのまま国道 178 号で岩滝の市街地に入ることにしました。

府道 53 号へ進路変更!

岩滝の市街地を通り抜けて、「男山」交叉点にやってきました。例の府道 53 号と国道 178 号が交叉する十字路です。

とっさの判断で左折して、府道 53 号「網野岩滝線」で内陸部に向かうことにしました。このまま国道 178 号を進んだところで、伊根町蒲入から先に行けないので、それだったら……という計算によるものです。

府道 53 号については何の前提知識もありませんでしたが、二桁の府道だったら程々に整備されてるだろう、という期待を込めての判断でした。あ、あ……

早速センターラインが消えましたが、この程度の道幅ならまだ可愛いものですね。

久住スノーシェルター

かつての中郡大宮町の東部を北北西に向かいます。前方にスノーシェルターが見えてきました。

「久住スノーシェルター」の文字が、一文字ずつ埋め込まれています。なかなか立派なスノーシェルターですね。

リカバリー成功!

そのまま府道 53 号を北上して、京丹後市(旧・竹野郡弥栄町)までやってきました。経ヶ岬に南からアプローチすることが無理になったので、では西から……という計算だったのですが、どうやらうまく日本海側に出ることができそうです。

改めて Google Map でルートを確認してみます。伊根町から経ヶ岬に行けないと最初からわかっていたなら、素直に国道 312 号を北上すれば良かったんですけどね。まぁ、何はともあれ無事リカバリーに成功したようです。

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