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アイヌ語地名の傾向と対策 (834) 「ウプシュナイ川・山臼・オンネナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

ウプシュナイ川

hup-us-{nay-po}
椴松・多くある・{小川}
(典拠あり、類型あり)

枝幸町山臼の南部、「ペラウシュナイ川」の北隣を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「フヽウシナイ」という名前が描かれているほか、北隣に「ウワシナイホ」という名前も見えます。

一方で「再航蝦夷日誌」では「ウワンナイホ」のみ、「竹四郎廻浦日記」でも「ヲフシナイホ 小川」のみ記録されています。地理院地図でも該当の位置に川らしきものは「ウプシュナイ川」しか描かれていませんが、OpenStreetMap ではウプシュナイ川の北側にも無名の河川が描かれています。

永田地名解には次のように記されていました。

Upush naipo  ウプシュ ナイポ  椴松ノ小川「ウプ」ハ「フプ」ナリ北見アイヌウフ互ニ通ズ

ということで、hup-us-{nay-po} で「椴松・多くある・{小川}」と考えて良さそうですね。

現在の川名は「ウプシュナイ川」で、これは「東西蝦夷山川地理取調図」にある「フヽウシナイ」に由来するように見えます。ただ、明治時代の地形図では、現在の「ウプシュナイ川」の位置に「ウプシュ子イホ」と描かれているので、「東西蝦夷──」が「フヽウシナイ」と「ウワシナイホ」を別々に描いたのは、結果的にはミスだったのかもしれませんね。

山臼(やまうす)

nam-so-oma-nay?
冷たい・滝・そこに入る・川
nimam-nusa-oma-nay??
舟の神・祭壇・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

枝幸町徳志別の南東、「オンネナイ川」の河口のあたりに位置する集落の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ヲン子ナイ」の南隣に「ナマムシヤヲマナイ」と描かれています。

明治時代の地形図を複数見たところでは、「オン子ナイ」のみ描かれているものと、「ナムショーオマナイ」の北に「エタンケシラリ」と描かれているものがありました。「エタンケシラリ」は現在の漁港のあるあたりで、「ナムショーオマナイ」は漁港の南東側を指しているようにも見えます。

この「ナムショーオマナイ」が「山臼」の原型ではないかと考えているのですが、「再航蝦夷日誌」には該当する地名(川)が見当たりませんでした。また「竹四郎廻浦日記」には該当する位置に「ヤアマウシ」という地名?が記録されていました。どうやら「ヤアマウシ」=「ナムショーオマナイ」=「山臼」と言うことになりそうな感じです。

「冷たい・滝」説

永田地名解には次のように記されていました。

Nam shō oma nai  ナㇺ ショー オマ ナイ  冷瀧川 松浦地圖「マムシヤオマナイ」ニ誤ル
(永田方正「北海道蝦夷語地名解国書刊行会 p.441 より引用)

あー、そういうことですか……。永田大先生が「ナマムシヤヲマナイ」を「誤りである」と断定しちゃったんですね。確かに「ナマムシヤヲマナイ」は意味不明ですし、「ナムショーオマナイ」ならば nam-so-oma-nay で「冷たい・滝・そこに入る・川」と読めます。

現在の地名は「やまうす」なので、namyam に化けたことになります。nam を「冷たい」と解釈するのは道南を中心に見られるもので、道北や道東では yam となるのが一般的です(「稚内」も市内を流れる yam-wakka-nay に由来します)。

ですので namyam に化けたのも自然な流れに思えますが、では松浦武四郎が「ナマムシヤヲマナイ」と記録したのは一体何だったのか、という話になってきます。

「舟魂」説

ここで思い出すのが網走近郊の「女満別」で、松浦武四郎は「ニマンヘツ」と記録したにも関わらず、現在は「めまんべつ」に改められてしまっています。

女満別」の回の繰り返しになりますが、古いアイヌ語nimam という言葉があったそうです。

nimam。舟を意味する古い語。〔北海道先史学十二講『言語と文化史─知里真志保』北方書院,昭和24年11月〕P.90。
(佐々木弘太郎「樺太アイヌ語地名小辞典」みやま書房 p.135 より引用)

また、平山裕人氏の「アイヌ語古語辞典」の「『藻汐草』アイヌ語単語集」にも次のように記されていました。「①」が「藻汐草」の内容で「②」が「萱野辞典」または「バチェラー辞典」の内容です。

ニマム
 ① 船玉神(※船を守護する神。小樽周辺では船魂と表記する─白浜注) ②
(平山裕人「アイヌ語古語辞典明石書店 p.318-319 より引用)

「②」が無いということは、萱野さんの辞書やバチェラー氏の辞書に記載が無い、ということになりますね。

佐々木弘太郎さんの記録から nimam は「舟」という意味だと考えてきましたが、「『藻汐草』アイヌ語単語集」の内容を加味すると少し印象も変わってきます。「ナマムシヤヲマナイ」という意味不明な記録も、nimam-nusa-oma-nay で「舟の神・祭壇・そこにある・川」と読めそうな気がするんですよね(「ヤアマウシ」が nimam-nusa というのは、かなり強引ですが……)。

「北海道地名誌」によると、どうやら枝幸町にはもう一つ通称「山臼」と呼ばれるエリアがあるようで、そこは「ヤㇺ・ワッカ・ウㇱ」が語源ではないかとのこと。明治時代の地図を見ると、もう一つの「山臼」のあたりには「ヤㇺワクカ」とあり、やはり nam ではなく yam が使われていたことが確認できます。

オンネナイ川

onne-nay
大きな・川
(典拠あり、類型多数)

山臼漁港の北を流れる川の名前です。「東西蝦夷山川地理取調図」には「ナマムシヤヲマナイ」の北隣に「ヲン子ナイ」と描かれています。「再航蝦夷日誌」や「竹四郎廻浦日記」にも「ヲン子ナイ」と記録されています。

永田地名解には次のように記されていました。

Onne nai  オンネ ナイ  大川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.441 より引用)

以上です(ぉぃ)。onne-nay で「老いた・川」、つまり「親である・川」ということですから「大きな・川」となりますね。

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