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「日本奥地紀行」を読む (蝦夷に関するノート (1))

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(原題 "Unbeaten Tracks in Japan")には、初版(完全版)と、いくつかのエピソードが削られた普及版が存在します。初版の「第三十七信」(普及版では「第三十二信」)の次には「蝦夷に関する覚書ノート」があったのですが、普及版ではバッサリとカットされています。

「普及版」でカットされた内容は、高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』でフォローしてきたのですが、なんと「蝦夷に関する覚書」の本文が見当たりません。「対照表」にはちゃんと「蝦夷に関する覚書」という項目があるのに……。

ただ幸いなことに、イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バードの日本紀行 下』(講談社)には「蝦夷に関するノート」も含まれていました。ということで、「蝦夷に関するノート」については時岡敬子さんの訳をベースに見てみることにしました。

この記事内の見出しは高畑美代子『イザベラ・バード「日本の未踏路」完全補遺』(中央公論事業出版)の「初版からの省略版(普及版)の削除部分を示す対照表」の内容を元にしたものです。この対照表は、高梨謙吉訳『日本奥地紀行』(平凡社)および楠家重敏・橋本かほる・宮崎路子訳『バード 日本紀行』(雄松堂出版)の内容を元に作成されたものです。

地形的特徴

蝦夷に関するノート」は、ほぼ全てが地誌的な記述で占められています(故に「普及版」ではカットされたのかも)。「地形的特徴」(時岡さんの訳では「自然の特徴」、原文では Physical Characteristics と題された項)から始まります。

 蝦夷は、日本本土とは津軽海峡に、またサハリンとは宗谷海峡に隔てられ、東経一三九度三〇分から一四六度、北緯四一度二〇分から四五度二〇分へと不規則な三角形に広がっており、最北点は英国ランズエンド岬よりかなり南にある。

「英国ランズエンド岬」は日本語版 Wikipedia にも立項されていました(ランズ・エンド(岬))。グレートブリテン島のほぼ南西端に位置する岬で、北緯 50 度 04 分とのこと。イギリスって思った以上に北にあるんですよね。

「サハリン」という表記も気になるところですが、原文には Saghalien とあるので、間違いなく「サハリン」ですね。1875(明治 8)年に「樺太・千島交換条約」が発効しているので、イザベラが「サハリン」としたのは妥当に思われます。

イザベラは「蝦夷」について「気候は並外れて厳しく、降雪量が多くて、北部の冬はシベリア型である」と記していますが、誰から聞いたのかわかりませんが、概ね妥当な認識ですね。

面積は三万五七三九平方マイル[約九万二九〇〇平方キロ]で、アイルランドよりかなり大きいのに、推定人口は一二万三〇〇〇しかない。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.18 より引用)

面積が「平方キロ」でも併記されているのは助かります。推定人口は「12 万 3 千人」とありますが、現在の北海道の人口は 505.8 万人とのこと。

この島は山脈の集まりで、平地はよく草が生え、水に恵まれている。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.18 より引用)

日本は大抵の島が「山脈の集まり」で、例外は「南鳥島」くらいしか思い出せませんが、「珊瑚礁の島」や「中洲の島」では無いということを明記している……ということでしょう。「水に恵まれている」というのも重要なことで、アメリカ中西部のような乾燥した気候では無いということを示しています。

土地の多くを人の踏み込めない密林や沼が覆っている。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.18 より引用)

これもまったくその通りですね(笑)。北海道と言えば寒くて荒涼とした大地……という印象がありますが、概して植生は豊かに感じられます。まぁシベリアの大地にも「タイガ」が広がっているので、寒いからと言って「枯れ果てた場所」では無い……ということですよね(野付半島の「トドワラ」のような場所は、まぁ例外なのかと)。

イザベラは「活火山がいくつかある」とも記していて、「見た目は静かだからといって安心できない」としています。気象庁の Web ページの「北海道駒ヶ岳 有史以降の火山活動」によると、1856 年にマグマ噴火が記録されていて、「有珠山 有史以降の火山活動」では 1853 年にマグマ噴火が記録されています。「十勝岳 有史以降の火山活動」によると 1857 年に噴火が記録されているとのこと。

川については「無数の短くて流れの速い川」があるとして、時折「激しい増水を起こす」としています。川は 3~5 km ごとにあり、「旅人をその岸で何日間も足止めさせる」としていますが、これはまぁ本州でも同じですよね。

最大のものは石狩川で、鮭で有名である。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.18-19 より引用)

石狩川の鮭、明治の頃から既に有名だったんですね。

 海岸に安全な港は少なく、台風の進路には当たらないものの、ひどい強風が吹き、途切れのない波がある。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

当時の「蝦夷地の港」と言えばまずは函館でしょうか(函館については後に詳細な記述があります)。あとは小樽室蘭ですが、どっちも採炭とともに発展したような印象があります。「台風の進路には当たらない」というのも重要な指摘ですね。

植生と農地について

蝦夷地(北海道)における農耕については、次のように記していました。

耕地は主に海の近くにあるが、例外的に札幌の付近には広大な平野がある。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

北海道最大の平野である「石狩平野」の一角に「札幌」という都市が建設されて今に至る訳ですが、札幌の地理的なアドバンテージについては先人が指摘した通りだったと言えそうですね。北海道は二つの巨大な島が陸繋島(DASH 島みたいな)のようにつながった形をしている……とも言えるかもしれません。

内陸は森林に覆われており、価値ある木材の供給源はありあまるほどで、木材として有用な樹木は三六種を数える。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

イザベラはこれまでもこういった地誌的な内容を詳らかに記していますが、穿った見方をすれば「(大英帝国が)食い物にできる資源」について記している……とも言えそうです。

イザベラは「蝦夷地の森林」について「高さ約 2.4 m に達する丈夫でしぶとい笹が密に生えている」とした上に「そこかしこにさまざまな蔓植物が繁茂して絡まり合っているので、通行できない」と記しています。笹については場所を選ぶような気もしますが(笹が自生しない場所も少なからずある筈)、蔓植物が繁茂して「通行できない」というのはその通りかもしれませんね(思わず苦笑い)。

土壌はふつう豊かで、暖かな夏はたいていの穀物や根菜の生長に好ましい。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

北海道は、個人的には泥炭層の湿地帯が広がっている印象があるのですが、イザベラは農地としての可能性を見出していたようです。気候については「稲には適していない」としつつ「小麦はいたるところで実っている」としていて、また「イギリスの果樹は日本のどの地方よりもよく育つ」としています(具体的な種類も知りたかったところですが)。

噴火湾[内浦湾]では門別におけるものほど立派に育っている作物をわたしはどこでも見なかった。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

唐突に「門別」という地名が出てきましたが(日高町門別か?)、原文では Mombets on Volcano Bay とあります。「噴火湾では」という注釈を考慮すると、これは「紋別」の可能性もあるかも……?

開墾された土地は腐葉土で肥えており、アメリカにおけるような作物を生産するのに適していて、二〇年間施肥がいらず、イギリスのように定期的で充分な降雨があるので、灌漑は必要ない。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

これも農地としての可能性を見出した記述ですね。「二〇年間施肥がいらず」というのは誰から聞いたのでしょう……? 「灌漑は必要ない」というのも重要な指摘です。

鉱物資源について

イザベラは「鉱物資源」についても次のように記していました。

 蝦夷の主な鉱物資源は炭田にあるが、政府は外国資本の導入を警戒しており、通商停止が解除されるまでは、この資源が大規模に使用されることはありそうになく、また鉱山開発に充てられた資金の大半は、途中の官僚が「搾取」してしまうためむだに費やされている。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19 より引用)

官僚の「中抜き」は今に始まったものでは無かったのですね……。北海道には石狩炭田釧路炭田など、後に筑豊炭田と並んで「日本を牽引する」存在となった炭田がいくつか存在するのですが、当時はその可能性を推し量る時期だったと言えそうです。

イザベラもその可能性を高く評価していたようで、「もしかすると世界的に重要なものとなるやもしれない」と記しています。

地質調査の有能な主任であるライマン氏は蝦夷炭田の石炭埋蔵量を一五〇〇億トンと見積もっている。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.19-20 より引用)

この「ライマン氏」はベンジャミン・スミス・ライマンのことでしょう。「1,500 億 t」という数字がどれほど膨大なものか、全く想像がつかないのですが……

言い換えれば、蝦夷は英国の現在の年間生産量を今後一〇〇〇年間(!)生産し続けるかもしれないということなのである。
イザベラ・バード/時岡敬子訳『イザベラ・バード日本紀行 下』講談社 p.20 より引用)

むむ、これは確かに凄い数字ですね。ただ実際にはそこまで極端な埋蔵量でも無かったようで、釧路総合振興局の「釧路の石炭のページ」によると石狩炭田で 64 億 t、釧路炭田で 20 億 t とのこと。まぁ、当時は夢を見ていたということなのかもしれません。

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