Bojan International

旅行記・乗車記・フェリー乗船記やアイヌ語地名の紹介など

紀勢本線各駅停車 (プロローグ 1) 「熊取・日根野・長滝・新家・和泉砂川」

ある晴れた日の朝、天王寺駅にやってきました。2016 年 6 月の出来事です。

京橋発和歌山行きの「紀州路快速」がやってきました(前 5 両が関西空港行きの「関空快速」で、後ろ 3 両が和歌山行きの「紀州路快速」だったと思います)。これまでの車輌だと中吊り広告があったスペースに液晶ディスプレイが設置されていて、着席中の乗客にも各種の案内が見やすくなっています。

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春の新日本海フェリー「すいせん」スイートルーム "Avignone" 乗船記(下船編)

敦賀港行き直行便の「すいせん」は、苫小牧東港を出港してから 19 時間半ほどが過ぎ、福井市の西方の沖合を航行中です。入港予定時刻は 20:30 なので、あと一時間ほどで下船することになります。

ここまでの航行ルートが図示されています。地理院地図に図示されている航路と比べて随分と直線的ですが、おそらくこれがほぼ正解なんでしょうね。

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春の新日本海フェリー「すいせん」スイートルーム "Avignone" 乗船記(夕食編)

約束の時間になったので、5 甲板のグリルにやってきました。朝食や昼食の時と同じく、チケット代わりの紙を係の人に渡すと席に案内して貰えます(なお夕食時に渡した紙は回収されてしまいますので念のため)。

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、営業形態などが変更されている可能性があります。

テーブルにはグラスが用意されていて、ドリンクメニューも置かれています(代金は食事終了後に現金で支払います)。ただ下船まで 3 時間を切っているので、流石にドライバーの飲酒は NG ですよね。

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春の新日本海フェリー「すいせん」スイートルーム "Avignone" 乗船記(電波編)

昼食後の船内ウロウロを終えて部屋に戻ってきました。あとは夕食までのんびりと待つだけですが、「コンファレンスルーム」で映画を見ることもできますし、また繁忙期はパフォーマーの方が乗船している場合もあります。この日はジャグリングのショーが企画されていたのですが、よく見ると「映画上映」と「ジャグリング」は見事に時間が被らないようになっていますね!

【ご注意ください】この記事の内容は、特記のない限りは 2016 年 5 月時点のものです。新型コロナウイルス感染症パンデミックにより、営業形態などが変更されている可能性があります。

DVD を見たり風呂に入ったり

ということで、コンファレンスルームで映画鑑賞(今もやってるんでしょうか?)も良いですが、スイートの船室には DVD プレーヤーが設置されているので……

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春の新日本海フェリー「すいせん」スイートルーム "Avignone" 乗船記(オープンテラス編)

「すいせん」の船内を一通り見て回った筈ですが(「キッズルーム」をスルーしているのはうっかりミスです)、そう言えば、まだ見ていなかった場所があったのを思い出しました。ということで、5 甲板の廊下をテクテク歩いて……

船室の最前部にある「フォワードサロン」から、最後部の「オープンテラス」に向かいます。レストラン横の廊下を抜けると目的地です。

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北海道のアイヌ語地名 (935) 「チグサ藻琴川・シンプイ藻琴川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

チグサ藻琴川(ちぐさもこと──)

chep-sak-{mokot-to}
魚・持たない・{藻琴川}
(典拠あり、類型あり)

藻琴湖に注ぐ「藻琴川」を南に遡ると東藻琴の市街地があります。山田秀三さんは「南藻琴と呼びたい処であるが,なぜか東藻琴村と称した」と記していましたが、確かに「南藻琴」のほうが適切な感じが……。

「チグサ藻琴川」は「藻琴川」の西支流で、東藻琴の市街地の北(網走市域)で藻琴川に合流しています。国道 334 号がチグサ藻琴川を横断するあたりの地名は「大空町東藻琴千草」です。

「チグサ藻琴川」と「畜沢藻琴」

「千草」という地名は「千歳」と同様の瑞祥地名のようにも思えますが、「大空町東藻琴」の北北西、チグサ藻琴川の西に「畜沢藻琴」という三等三角点があります。「畜沢藻琴」は「ちくざわもこと」と読むとのこと。「畜沢」が「チグサ」に化けた可能性が出てきたと同時に、瑞祥地名説は少し怪しくなったでしょうか。

ちょいと話を逸らしますと、道内にもいくつか「筑紫──」という地名があるのですが、これは九州の「筑紫」に由来するのか、それとも chi-kus(我ら・通行する)に由来するのかが判断できない場合が多く、いつも悩みの種になっていました。特に布部駅(富良野市)の東に聳える「筑紫岳」は、未だに判断がつかないままです。

「チグサ藻琴川」の「チグサ」からも似た感触があったのですが、明治時代の地形図を眺めてみたところ、そこには「チエㇷ゚サㇰモコトー川」の文字が。これは一本取られた……というか、斜め上を行かれた感もあるのですが、chep-sak-{mokot-to} で「魚・持たない・{藻琴川}」だったようです。

畜沢藻琴ちくざわもこと」という珍妙な名前の三角点も「チェプサクモコトー」から音訳したと考えることもできますし、あるいは「ク」を「ワ」に読み間違えたのかもしれません。

「チェプサクモコトー」はどこに

「東西蝦夷山川地理取調図」を良く見てみると、「モコト」(=藻琴湖)に注ぐ川として「チヱフシヤク」という川が描かれていました。この「チヱフシヤク」については、戊午日誌「東部安加武留宇智之誌」にも次のように記されていました。位置関係を正確に把握するために、ちょっと引用が長くなりますがご容赦ください。

 並びてしばし西え当りて、是沼の源なる相応の川有
     シユンクウシモコトウ
 と云よし。此川すじ松有るによつて号。また此シユンクウシモコトウの源え到るや、川筋二ツに分れて、カシユンナイとモコトウイトコとに成るよし也。然し高山はなしと云。扨此川口より西の方え廻るや、しばしにて
     ヲン子ナイ
 また並びて少し北により
     シイキナウシナイ
 此処煮て喰草多きより此名有るよし也。シイとはシユケと云儀にて煮る儀也。並び
     ヲロマナイ
     チエプクシヤクモコトウ
 此川如何成儀なるか魚類少しと云り。また並び
     チエプウシナイ
 此川魚類多きより号。またしばしを過
     チブタウシナイ
 是山え行もの此処え舟を置て山え上るが故にいつも舟が有るによって号るとかや。周廻凡五里と思わる。歩行にて廻らば凡七八里もあるべし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.352-353 より引用)

とりあえず chep-sak-{mokot-to} は「魚を持たない藻琴川」と見て間違い無さそうな感じですね。あとは「チヱフシヤク」は藻琴湖に注ぐ川だったのか、それとも現在の「チグサ藻琴川」のことなのか……ですが、「東部安加武留宇智之誌」の内容を見る限りは「藻琴湖に注ぐ川」であるように読めます。

この記述で問題になりそうなのが、そもそも藻琴湖の西側に「ヲン子ナイ」「シイキナウシナイ」「ヲロマナイ」「チエプクシヤクモコトウ」「チエプウシナイ」「チブタウシナイ」と言った川が存在する余地があるのかという点です。現在の地形図を見る限りでは余地は見当たらないのですが、「東部安加武留宇智之誌」を良く見ると「周廻凡五里と思わる」と記されています。

これは「周囲約 20 km」ということになりますが、現在の藻琴湖の周囲は約 6 km とのこと。ただ大正時代の「陸軍図」では藻琴湖の南側が広大な湿地として描かれていて、これらを湖に含めたとすると「周囲約 20 km」という記録も妥当に思えてきます。また湖の西に「ヲン子ナイ」以下の川が存在する余地も出てきます(現在「山里川」と呼ばれる川が「ヲン子ナイ」だった可能性もありそうです)。

「シユンクウシモコトウ」と「チェプンモコト」

なお、ほぼ余談ですが、知里さんの「網走郡アイヌ語地名解」には次のように記されていました。

(398) シノモコト(Shino Mokoto) 「真の・藻琴川」。藻琴川の本流の川上。これをチェプンモコト(Chep-un-Mokoto)ともいう。チェプ(鮭),ウン(入る),モコト(藻琴川)。
知里真志保知里真志保著作集 3網走郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.311 より引用)

戊午日誌「東部安加武留宇智之誌」では藻琴川の本流を「シユンクウシモコトウ」としていて、それとは別に藻琴湖に注ぐ「チエプウシナイ」という川があるとしていました。一方で知里さんは藻琴川の上流部が「チェプンモコト」だとしていて、やや異同が見られます。

シンプイ藻琴川(しんぷいもこと──)

simpuy-{mokot-to}
湧き水の穴・{藻琴川}
(典拠あり、類型あり)

東藻琴(旧・東藻琴村の中心地)の北東で藻琴川と合流する東支流です。「東西蝦夷山川地理取調図」にはそれらしい名前の川が見当たりませんが、明治時代の地形図には「シユンプイモコトー川」と描かれていました。

「シンプイ藻琴川」沿いの一帯は「大空町東藻琴新富」という地名ですが、この「新富」は「しんとみ」と読むとのこと。ただ「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 新富 (しんとみ) シンブイ藻琴川流域地帯,もとシブイ藻琴といったところ。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.445 より引用)

これだけでは「新富」が「シンプイ」に由来するかどうかは何とも言えないのですが、よく見ると少し下にこんな記述がありました。

 千草(ちぐさ) チブサ藻琴川中流地域,もとチプサ藻琴といったところ。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.445 より引用)

さてこれをどう見たものか……。「チエㇷ゚サㇰ」が「千草」に化けた可能性はかなり高いと思えますが、「シンプイ」が「新富」に化けたと言えるかどうかは、旧・東藻琴村の北部に「稲富」があったり「ポンチグサ川」の上流部に「福富」があったりするので、何とも言えないですね……。

本題の「シンプイ藻琴川」に戻ると、知里さんの「網走郡アイヌ語地名解」に次のように記されていました。

(399) シンプイモコト(Shimpui-Mokoto) シンプイ(湧き水の穴)。シンプイ・モコト(湧き水の穴ある藻琴川)。シノモコトの枝川。
知里真志保知里真志保著作集 3網走郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.311 より引用)

こちらは特に疑問を差し挟む余地は無さそうですね。simpuy-{mokot-to} で「湧き水の穴・{藻琴川}」と解釈して良さそうです。

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北海道のアイヌ語地名 (934) 「那寄川・オムニナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

那寄川(なよろ──)

nay-oro
川・のところ
(典拠あり、類型あり)

網走市東部、藻琴湖と濤沸湖の間を流れる川の名前です。面白いことに、これだけ短い川でしかも大きな湖に挟まれていながら、那寄川自体は海に向かって流れています。

明治時代の地形図を見てみると、藻琴沼の周辺に「濤沸」「藻琴」「娜寄」「新栗履」の文字が並んでいます。いずれも当時の村の名前らしく、那寄川の(僅かな)流域の上には「娜寄」とあります。字が微妙に異なりますが、「娜寄」も「なよろ」と読ませていたようです。

「東西蝦夷山川地理取調図」にも沿岸部の地名(川名?)として「ナヨロ」と描かれていました。また「竹四郎廻浦日記」と戊午日誌「東部安加武留宇智之誌」にも「ナヨロ」とあるほか、永田地名解にも次のように記されていました。

Nai-oro   ナヨロ   小川 娜寄村ト稱ス

どこからどう見ても nay-oro で「川・のところ」っぽいのですが、念のため知里さんの「網走郡アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。

(400) ナヨロ(Nayoro) ナイ・オロ(川・の所)。
知里真志保知里真志保著作集 3網走郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.311 より引用)

あ、やっぱり……。藻琴湖と濤沸湖の間は台地になっていて、那寄川は台地に切り込みを入れたような感じで流れています。そのため「窪地のところ」に近いニュアンスで「川のところ」と呼ばれた……のでしょうね。

オムニナイ川

o-to-un-nay?
河口・沼・そこに入る・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

濤沸湖の西部に注ぐ川の名前です。地理院地図には川としては描かれていませんが、河口付近に湿地に囲まれた大きな沼が描かれているところです。

明治時代の地形図には「オインナイ」と描かれていました。別の大縮尺の地形図には「オナンナイ」と描かれているのですが、どちらも意味不明な感じがします。

さて困った……ということで知里さんの「網走郡アイヌ語地名解」を見てみると……

(413) オチンナイ(O-chin-nai) オ(そこで),チン(生皮を張つて乾す),ナイ(沢)。ワッタルンナイの枝川。
知里真志保知里真志保著作集 3網走郡アイヌ語地名解』」平凡社 p.311 より引用)

ふむふむ。「オインナイ」と「オナンナイ」はどちらも意味不明だったのですが、「オチンナイ」の誤記ではないか……とのことですね。

ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」を見てみると「トンナイ」と言う名前の川(と思われる)が描かれていて、「竹四郎廻浦日記」にも次のように記されていました。

其字西の方 ウヽツルシ、マル(マ)、ヲトンナイ、ヲン子ナイ、ウカルスべ、ホノア子、シヘツ、チヒアニ、ヲチヤヲチヤシヨ、此処川の東岸に当る。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.387-388 より引用)

この「マル」はおそらく「丸万川」のことで、「ヲン子ナイ」は「オンネナイ川」のことだと考えられます。となると現在の「オムニナイ川」に相当するのは「ヲトンナイ」ということになりますね。「東西蝦夷──」では「トンナイ」でしたが、まぁ誤差の範囲でしょう。

最初に記した通り、「オムニナイ川」の河口付近にはそこそこ大きな「沼」があります。そして「トンナイ」あるいは「ヲトンナイ」という記録があるのであれば、o-to-un-nay で「河口・沼・そこに入る・川」と考えるのが自然に思えるのですが……。

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