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アイヌ語地名の傾向と対策 (226) 「ヌッポコマナイ川・富美・社名淵」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

ヌッポコマナイ川

nup-pok-oma-nay
野原・しも手・そこにある・川

 

(典拠あり、類型あり)

湧別町中湧別の南側を流れる川の名前です。「中土場川」と合流した後、中湧別の北西部で湧別川と合流します。

いかにもアイヌ語由来っぽい音の川ですが、ちょっと由来がピンと来ません。山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

 山から中湧別の市街の方に向かって流れている小川をヌッポコマナイ川という。ヌㇷ゚・ポㇰ・オマ・ナイ(nup-pok-oma-nai 野原の・下手・にある・川)の意。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.184-185 より引用)

なるほどー。最初は nupka かと思ったのですが、そうではなくて nuppok だったのですね。nup-pok-oma-nay で「野原・しも手・そこにある・川」だと解釈できそうです。

湧別町内の湧別川の流域は、中湧別から上湧別のあたりが比較的広めの野原のようになっています。ヌッポコマナイ川は上湧別のあたりから見ると「野原の下手」と認識できるので、それでこのような名前で呼ばれたのかな、と思わせます。

富美(ふみ)

hum-o-i??
音・そこにある・もの(川)

 

(?? = 典拠なし、類型あり)

湧別町を流れる湧別川の支流の名前です。そろそろ「湧別」という文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうなのでこの辺にしておきましょうか(汗)。

この川は、「東西蝦夷山川地理取調図」には「ウミイ」と記されていて、明治期の地形図には「フミ」と記されています。昔からの名前がそのまま残っているようですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。

要するに,川口の辺で水が音をたてていた時代があって,この川がフミ(hum-i その音)と呼ばれるようになったのであろう。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.185 より引用)

なるほど……。hum-i で「その音」という意味ですね。-i は所属形をつくる語尾なのですが、最近だと「芭露」でも出てきましたね。先例?に従うと hum-i は「ザ・音」と解釈することができます。おそらくは河口部で豊かな音を立てていたと思われるのですが、現在はどんな感じなのでしょうか。

2020/8 追記
所属形で hum-i と考えるよりは、hum-o-i で「音・そこにある・もの(川)」と考えるほうが自然かな、と思えます。

社名淵(しゃなふち)

san-nay-put
山から浜へ出る・川・口

 

(典拠あり、類型あり)

遠軽町北西部の地名。近くを流れるサナブチ川は遠軽町湧別町の境界で湧別川に合流しています。ちなみにサナブチ川の北側に位置する湧別町の地名は「開盛」と言うのですが……ここで実にわざとらしく「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  開 盛(かいせい)
所在地 (北見国)紋別郡上湧別町
開 駅 大正 4 年11月 1 日 (客)
起 源 もと「社名渕(しゃなぶち)」といったが、駅所在の部落を「開盛」というので、昭和 9 年 2 月 5 日改めたものである。「開盛」という部落名は、湧別川にかけられた橋を「開盛橋」と命名したのによる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.199 より引用)

ふむふむ。かつて存在した名寄本線の「開盛駅」は、もともとは「社名渕駅」という名前だったのですね。橋の名前として「開盛」という瑞祥名をつけたところ、それが北隣の集落の名前となり、そして駅の名前になった、ということのようですね。

なお「社名渕」はアイヌ語の「サン・ナイ・プッ」(下る川の口)からとったものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.199 より引用)

なるほど、san-nay-put で「山から浜へ出る・川・口」でしょうか。san は「坂」という意味もあるので、「坂のような川」というニュアンスだったのかも知れませんね(サナブチ川はこのあたりの川の中では比較的傾斜がきついようにも見えます)。

ちなみに、山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されています。

つまり,社名淵川がサンナイという川で,その川口の処をサンナイ・プトゥ(sannai-putu)と呼んだのがもとであると解されたのであった。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.185 より引用)

あっ、すっかり忘れていました。山田さんの解釈通りだと思います。

 バチラー辞書には「sana-butu,sana-buchi。川口」とある。sa-na-putu(puchi)で浜の・方の・その口,と読まれそうだ。もしかしたら社名淵は,ただ「川口」の意だったのかもしれない。
山田秀三「北海道の地名」草風館 p.185 より引用)

むぅ、そう来ましたか。知里さんsan の語源が sa-ne あるいは sa-un にあるとしていましたが、確かに sa-na- で「浜・のほう」という解釈もできそうですね。ただ、それだと putu が今ひとつ良くわからなくなるので、あるいは sa-na-pet で「浜(前)・のほう・川」だったのかも知れません。

つまるところは、現在の「サナブチ川」がかつてどのように呼ばれていたかが気になるわけですが、「東西蝦夷山川地理取調図」ではそれっぽい川を見つけられませんでした。明治期の地図には「サナプチ川」とあるので、少なくとも明治時代には「サナブチ」という川の名前である、という認識は存在していたようですね。

そう考えると sa-na-pet という珍説?も決して荒唐無稽では無いような気もしてきました。まぁ、あくまで参考レベルでのお話ということで……。

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