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木次線各駅停車 (16) 「出雲八代」

備後落合行きの 1449D は、定刻通りに下久野を出発しました(テンプレ書き出し)。

次の停車駅は「出雲八代」です。出雲八代の到着予定時刻は 12:23 頃で、宍道を 11:19 に出発してから約 1 時間が経過したことになります。結構長時間乗車しているような印象もありますが、いえいえ全然大したこと無かったですね!

下久野トンネル(全長 2,241 m)

下久野を出発してからも上り勾配が続き、ついにトンネルが見えてきました。下久野駅の標高が約 223 m で、トンネルの入り口のあたりが 279 m と言いますから、2 km 弱で 50 m 以上高度を稼いだことになるのでしょうか。

下久野トンネルの入り口が見えてきました。木次線の木次-出雲三成間は 1932 年に開通しているので、下久野トンネルの完成はそれ以前、ということになりますね。ポータルに程よく苔むしているのも風格が出ていて良いですよね。このトンネルは完全に一直線のようで、よく見ると出口も見えている……ような気がします。

木次線利活用推進協議会さんの Web ページによると、下久野トンネルの貫通には 5 年の歳月を要したとのこと。

また、雲南市の「市報うんなん 2016 年 6 月号」には、「祝 木次線開業百周年」という記事があり、「このうち下久野トンネル(全長 2241 メートル)は、3 年 4 ヵ月の歳月をかけ昭和 6 年 4 月に完成しました」とあります。……あれっ?

全長 2,241 m の下久野トンネルは、実は木次線で最も長いトンネルです(ちらっと地図を眺めた感じでは、他のトンネルはいずれも 1 km 未満のように思えます)。大正から昭和にかけての時期に 2.2 km のトンネルを掘削するというのは結構な決断のような気もしますが、松江と広島を結ぶ鉄道ということで鉄道省も気合が入っていた、ということでしょうか。

この先は奥出雲町です

掘削に数年を要したという木次線最長のトンネルも、通過するのはほんの 3~4 分です。トンネルを抜けた先は奥出雲町です。

奥出雲町に入りました。このあたりは標高 331 m とのことですので、ほぼ片勾配のトンネルなのかもしれませんね。トンネルの出口から下り勾配に転じるのが見えるような……。

第四種踏切が見えてきました。木次線下久野トンネルの出口から下り勾配に転じて、このあたりでは標高 300 m まで下がっていました。

「とまれみよ」の表示の横には、JR 西日本が独自に(ですよね?)設置している「踏切 とまれ」の警告板が。

出雲八代駅(いずもやしろ──)

出雲八代駅が見えてきました。1 面 1 線の駅ですが、この駅もかつては 2 面 2 線だったようですね。

出雲八代駅のホームと駅舎が見えてきました。よく見ると右側に 2 番ホームの跡も見えますね。

ホームは 2~3 両分あるように見えますが、除雪されているのは出入り口のあたりだけです。やはり 5~60 cm ほど積もっているように見えますね。

例のアレ「手摩乳」

あっ! 突然「例のアレ」が!

出雲八代駅の「例のアレ」こと「神話駅名」は「手摩乳」(てなづち)とのこと。8 人の娘がいたものの、末娘を残してみんなヤマタノオロチに食べられてしまい、最後に残ったクシナダヒメはスサノオによって櫛にされてしまうという、ちょっと気の毒な神様のようです。

これはつまり、えーと……出雲八代駅木次駅にやりたい放題にやられまくって、日登駅に援軍を頼んだところ、末娘が櫛にされてしまった……ということですね?(敵対感情を煽ってどうする

あの映画のロケで使用されたとか

立派な駅舎がある出雲八代駅ですが、無人駅ではなく簡易委託駅とのこと。木次線は駅の数が多くない印象がありますが、その代わり、ホームしか無いような典型的な無人駅も少ない印象があります(ここまでだと、南宍道南大東くらいでしょうか)。

日登駅にあった駅名標が、もしかして開業当初のものか? と思わせる雰囲気を醸した逸品だったのですが、なんと出雲八代にも似た感じの駅名標がありました。

出雲八代も昔ながらの良い雰囲気が色濃く残る駅ですが、この駅のホームはあの駅が重要な役割を果たすあの映画(どの映画だよ)のロケにも使用されたのだそうです。詳しくはあの駅の回で触れる……と思います、多分。

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