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北海道のアイヌ語地名 (851) 「豊寒別・エボト川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

豊寒別(とよかんべつ)

tuy-ika-un-pet??
崩れる・あふれる・そこにある・川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)

浜頓別の中心街はクッチャロ湖と頓別川の間、クッチャロ川の南側に広がっていますが、それとは別に頓別川の河口沿いに漁港のある「頓別」集落があります。「豊寒別川」は主に頓別集落の西側を流れていて、最終的には頓別川と並んで海(頓別漁港)に注いでいます。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「トイカンヘツ」という名前の川が描かれています。豊寒別川は決して長い川ではありませんが、「東西蝦夷山川地理取調図」では「トイカンヘツ」は「ウソタニ」(ウソタンナイ川と思われる)よりも大きな川として描かれている上に、海ではなくトー(湖)に注ぐように描かれています。

謎の「駅名の起源」

山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のように記されていました。

 この語義は分からない。北海道駅名の起源は昭和25年版から「トイ・カム・ペッ(土を・かぶる・川)」と書いたのであるが,相当苦心をしてこの言葉を当てたものらしい。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.170 より引用)

え……? 興浜北線には「豊寒別インスパイア系」の「豊牛」という駅がありましたが、「北海道駅名の起源」にはこのような記載は見当たりません。

この疑問については更科源蔵さんが答えていました。

 豊牛(とようし)
 浜頓別から分かれた興浜北線の最初の駅名。もと豊寒別部落のあったところ、豊寒別とよかんべつは宗谷本線の問寒別といかんべつと同じ、トイカムペツで土をかぶった川で泥川の意、

ということで、「──駅名の起源」の「問寒別」の項を見てみると……

  問寒別(といかんべつ)
所在地 (天塩国) 天塩郡幌延
開 駅 大正 12 年 11 月 10 日
起 源 アイヌ語の「トイ・カム・ペッ」(土のかぶさる川)に、漢字をあてたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.180 より引用)

なるほど。山田さんは「豊寒別」と「問寒別」は由来が同じらしく……という注釈をうっかり書き忘れたっぽい感じですね。

「カム」=「かぶさる」説

「カム」で「かぶさる」というのは記憶にないのですが、萱野さんの辞書によると……

カム【kamu】
 かぶさる.

すいませんでした(汗)。「アイヌ語千歳方言辞典」や「釧路地方のアイヌ語語彙集」にも同様の記載があるので、割と一般的な単語だったようです。toy-kamu-pet で「土・かぶさる・川」と考えたようです。

ただ、少々異なった形で解釈を試みたケースもあるようで、「角川日本地名大辞典」には次のように記されていました。

イカンペツの地名はアイヌ語のトイカウンペツに由来し,トイは「土」,カは「上面あるいは表面」,ウンは「そこにある」,ペツは「川」で,「土の表面を流れる川」を意味する(地名アイヌ語小辞典)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.999 より引用)

toy-ka-un-pet で「土・上面・そこにある・川」と考えた、ということですね。

「角川──」で出典が「地名アイヌ語小辞典」となっている場合、知里さんの「──小辞典」の記述をつなぎ合わせたものである場合が多く、中には「それってアリなん?」と疑問を呈したくなる解釈もあるので注意が必要ですが、この内容は概ね首肯できるものです。もちろん -ka-un ではなく -kamu と考えても特に疑問は生じないので、どちらが正しい……と断言できるものでも無いのですが。

イカ」=「あふれる」説

ただ、「角川──」には続きがありまして……

またこれを「土の被さった川」の意とする説と,「湖沼に溢れ入る川」と訳す説もある(浜頓別町周辺の字名)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.999 より引用)

「湖沼に溢れ入る川」なんですが、to-ika-un-pet で「湖・あふれる・そこに入る・川」と読めるんですよね。でもそれだったら to-{ika-an}-pet で「湖・{われらが越える}・川」と考えられそうな気もします。

「ト」か、あるいは「ト゚」か

ここで注意しておきたいのが to という単語で、これを「クッチャロ湖」のことだと考えると若干妙なことになります(豊寒別川はクッチャロ湖に注いでいない)。明治時代の地形図を見たところでは……あっ、「トイカンペツ」ではなく「ト゚イカンペツ」と描かれている……ようにも見えます(断言はできない)。

仮に「ト」ではなく「ト゚」だとすると、これまた話が随分と変わってきます。toy は「土」ですが tuy は「切れる」とか「崩れる」という意味になるのですね。

そして「ト゚イカンペツ」の解釈も更にバリエーションが広がることになってしまい……。実は「頓別」の南東に「コイト゚イェ」と呼ばれた場所があったようなのですね。これは「声問」や「恋問」「小糸井」などと同じく koy-tuye で「波・崩す」となるのですが、「ト゚イカンペツ」も tuye-ka-un-pet で「崩す・かみて・そこにある・川」と読めてしまいます。

また tuy-kamu-pet で「崩れる・かぶさる・川」という解釈もできてしまうかもしれません。現在は「豊寒別川」と「頓別川」の間に堤防があり、両者が合流することは無いのですが、かつてはそのような堤防も無く、「ト゚イカンペツ」は「トーウンペツ」と合流した後に海に注いでいました。

流域は「トーウンペツ」(頓別川)のほうが圧倒的に広いため、川が運搬する土砂の量も桁違いだったと考えられます。となると頓別川が運搬した土砂が豊寒別川の河口を塞いでしまうこともあったでしょうし、河口を塞がれた豊寒別川があふれることもあったでしょう。そうすると tuy-ika-un-pet で「崩れる・あふれる・そこにある・川」とも考えたくなります。

こんな感じで、解釈の組合せ爆発が発生してしまい、もう収拾がつかなくなりました(汗)。端的に言えば「諸説あります」なんですが、だいたい路線としては似た感じなので、何卒ご容赦いただきたく……(汗)。

エボト川

chep-ot-i?
魚・多くいる・ところ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

浜頓別町楓と豊寒別の中間あたりで頓別川に合流する東支流の名前です。現在は流路の大半が人工的に整備されていますが、豊寒別側にかつての流路も残存しているように見えます。

「北海道地名誌」には次のように記されていました。

 エボト川 頓別川下流の右小川で流路 4 キロメートル。頭に小沼ある川の意か。
NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.407 より引用)

e-po-to で「頭・小さな・沼」と考えたのでしょうか。ただ、明治時代の地形図を見ると、この川は「ニポットー」と描かれています。nip で「(刀などの)柄」あるいは「取っ手」を意味するので、nip-o-to で「取っ手・多くある・沼」となるような気も……ちょっと無理がありますかね。

nipnup の転訛したものとすれば、nup-o-to で「野原・多くある・沼」となりそうな気もしますが、なんか違和感が残ります(類型を他に知りません)。

そんな中、「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めていると……。このあたりの「東西蝦夷──」は頓別川と思しき川がクッチャロ湖に注いでいたりして地理認識が若干謎なのですが、「トイカンヘツ」の隣に「チホフイ」という川(地名かも)が描かれていることに気がつきました。

仮に「ニポットー」が「チホフイ」の成れの果てなのだとしたら、元は案外 chep-ot-i で「魚・多くいる・ところ」だったのかもしれません。「チェポチ」と「エボト」も、そう言われてみれば似てるような、そうでもないような……(どっちだ)。

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