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北海道のアイヌ語地名 (931) 「敬生間布・奴振・華勝真布・中華梨場」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)
地図をクリックしたら地理院地図に飛べたりします。

敬生間布(けしょまっぷ?)

(nisey-)kes-oma-p?
(断崖・)末端・そこにある・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

北見市(旧・留辺蘂町)と遠軽町(旧・丸瀬布町)の境界付近、「イトムカ鉱業所」のほぼ真北に位置する三等三角点の名前です(標高 1222.0 m)。現在の成果状態は「処置保留」ということで正確な読みは確認できていませんが、「敬生間布」は「ケショマップ」と読ませた可能性が高いかと思われます。

仮に「ケショマップ」だとすれば kes-oma-p で「末端・そこにある・もの(川)」となるのですが、何の末端であるか不明で、明らかに消化不良な感じがします。kes の前の何かが略されたと考えるのが自然でしょうか。

「上富士見川」

旧・留辺蘂町のこのあたりには「ケショマップ川」とその支流である「上ヌプリケショマップ川」「中ヌプリケショマップ川」「下ヌプリケショマップ川」が流れている他、イトムカ鉱業所の北を「ニセイケショマップ川」も流れています。ところが厄介なことに「敬生間布」三角点はこれらの川の間の、どちらの流域でも無いところに存在しています。

明治時代の地形図を見てみたところ、現在「上富士見川」と呼ばれている川のところに「ニセイケシヨマプ」と描かれていました。「敬生間布」三角点を命名した頃は現在の「上富士見川」のことを「ニセイケシヨマプ」と呼んでいたのが、どこかのタイミングで隣の川を「ニセイケショマップ川」と呼ぶようになってしまった……と考えられそうですね。nisey-kes-oma-p は「断崖・末端・そこにある・もの(川)」と考えて良さそうです。

奴振(ぬぷり)

nupuri?
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

武利川の源流の一つである「濁川」と、無加川の北支流である「ケショマップ川」の間に聳える標高 1245.1 m の山に存在する三等三角点です。「ケショマップ川」は「ヌプリケショマップ川」が一部略されたものと考えられますが、削られた「ヌプリ」が三角点の名前として生き延びている……とも言えるのかもしれません。

nupuri は「」と見て間違いないと思われますが、漠然と「山だから『ヌプリ』でいいか」と言うことではなく、「ヌプリケシヨマプ」の源流部にあったことに由来する命名だったのではないかと思われます。「ヌプリケシヨマプ」の西南西には、現在「パオマナイ川」と呼ばれる川が流れていますが、この「パオマナイ」も元々は「ヌプリパオマナイ」だったようです。

「ヌプリ」=「ユㇰリヤタナシ」?

「ヌプリケシヨマプ」と「ヌプリパオマナイ」の間には、現在「北見富士」と呼ばれる標高 1291.1 m の山が聳えています(三角点名は「三角山」)。この山自体は「ユㇰリヤタナシ」(鹿が越冬する高い山)と呼ばれていたようですが、「ヌプリケシヨマプ」と「ヌプリパオマナイ」の川名は「ユㇰリヤタナシ」と呼ばれた山に由来すると見るべきでしょうか。

つまり、「奴振」という三角点の名前は「ユㇰリヤタナシ」を指す指示代名詞としての「ヌプリ」が流れ着いた結果なのではないか……と思えます。

華勝真布(けしょまっぷ)

(nupuri-)kes-oma-p
(山・)末端・そこにある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

いつの間にか「秀逸な当て字の三角点特集」になっていますが、「華勝真布」三角点は武利川の東支流である「七ノ沢」と無加川の北支流である「ケショマップ川」(の北支流)の間に聳える山の頂上付近にある、標高 1163.0 m の二等三角点です。

「敬生間布」三角点とは異なり、こちらは大正時代に作成された「二等三角点の記」により「ケショマップ」と読むことが確認できます。kes-oma-p は「末端・そこにある・もの(川)」と考えられますが、これは川名と同様に nupuri-kes-oma-p で「山・末端・そこにある・もの(川)」だったものから nupuri- が略されたと見るべきでしょう。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

中華梨場(なかけなしば)

kenas-pa-us-i?
川ばたの林・かみて・ついている・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

「ユㇰリヤタナシ」こと「北見富士」の東、国道の南側に標高 943.1 m の山が聳えていますが、その頂上付近の三等三角点の名前です。中華の梨とは何だろう……と思わせますが、中・華梨場と認識するのが正解だ、ということになりますね。

現在このあたりは「北見市留辺蘂町厚和」ですが、大正時代の「陸軍図」では「梨場」と描かれていました。「華」に「ケ」とルビが振ってあるのがなかなか良心的ですね。

滝の湯の「ケナシパウシ」

明治時代の地形図を見てみると、留辺蘂町滝の湯の南東あたりに「ケナシパウシ」と描かれていました。この地名は永田地名解にも記録があり、次のように記されていました。

Kenash pa ushi  ケナシュ パ ウシ  林端ノ(山)山ニ名ク

kenas-pa-us-i で「川ばたの林・かみて・ついている・もの」と解釈できそうでしょうか。pakes の対義語とも言えるもので、kes が「川下側の末端」を意味するのに対し pa は「川上側の末端」を意味する……とされます。

留辺蘂町滝の湯の南には標高 769.1 m の「丸山」という山があり、その頂上付近に「華梨場山」という三等三角点があります。「丸山」のあたりでは無加川が山裾に寄り添う形で流れているので、kenas(川ばたの平地)が存在しないことになります。kenas-pa-us-i は「川ばたの平地の末端についているもの」と考えられ、永田方正はこれを「山」としましたが、あるいは「山の麓の崖」と考えられるかもしれません。

「中華梨場」と「華梨場山」

「中華梨場」三角点は「華梨場山」から 7 km ほど離れているのですが、陸軍図では「中華梨場」三角点のあたりを「華梨場」としていて、「華梨場山」こと「丸山」の麓は「瀧湯」となっていました。移転地名の可能性も考えましたが、「中華梨場」三角点と「華梨場山」三角点はどちらも 1919 年に設置されているので、その線も無さそうです。

「華梨場山」三角点のあたりは無加川が南の山裾に寄り添うように流れていましたが、「中華梨場」三角点の北では無加川が北の山裾に寄り添うように流れていました。似た特徴を有する地形があったことからどちらも kenas-pa-us-i と呼ばれ、三角点名は混同を防ぐために「中」を追加した……と言ったあたりでしょうか。

この理屈で言えば「上華梨場」が存在した可能性も浮上するのですが、あえて場所を探してみると……留辺蘂町富士見のパオマナイ川河口付近でしょうか。

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