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アイヌ語地名の傾向と対策 (16) 「浜頓別・猿払・鬼志別」

三連単……じゃなくて三連戦の三日目です。サクサクっと行きますよー!(気持ちだけは)

浜頓別(はまとんべつ)

to-un-pet
沼・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)

浜頓別は、かつて国鉄天北線興浜北線の分岐駅でした。興浜北線の「浜」の字は、「浜」頓別から来ています(ちなみに「興」の字は、かの「興部」から)。北見枝幸と雄武の間がついぞ開通することがなかった興浜北線が廃止されたのは仕方が無かったとしても、音威子府南稚内を結んで、急行「天北」も走っていた天北線があっさり廃止されてしまったのには、驚いた人も多かったと思います。

さて、この「浜頓別」ですが、このあたり一帯を流れる「頓別川」からできた地名のようです。to-un-pet(トー・ウン・ペッ)で「沼・そこにある・川」という意味だとのこと。確かに浜頓別の街の西側には「クッチャロ湖」という湖沼があるので、実際の地形にもマッチしている名のようです。

山田秀三さんの「北海道の地名」によると(← 手を抜いてみた)、このあたりは元々「枝幸村」だったのが分村して「頓別村」となり、さらに 5 年後、山間部の「中頓別村」を分村した、という経緯を辿ったのだとか。「頓別村」が昭和 26 年に町制施行するにあたって、既に存在していた駅名に合わせて「浜頓別町」とした、ということのようです。

うん、すっきりくっきり。この調子で行きたいものです。

猿払(さるふつ)

sar-putu?
葦原・の口
sar-o-pet?
葦原・にある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

猿払村と言えば、万国の労働者が団結していた「日ソ友好記念館」があった(現在閉館中)ところですが、由来は sar-putu(サル・プツ)で「葦原・の口」という意味だとのこと。

ちなみに、異説として sar-o-pet(サ・ロ・ペッ)で「葦原・にある・川」という考え方もあるようです。

鬼志別(おにしべつ)

o-ni-usi-pet?
川尻に・木が・群生している・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)

o-ni-usi-pet(オ・ニ・ウシ・ペッ)で「川尻に・木が・群生している・川」だ……とされるようですが、実際の地形を見てみると、河口部は普通の平野のようで、木々が生い茂っているようには見えません。

それを気にして……かどうかはわかりませんが、「北海道駅名の起源」(昭和48年版)には「また『オ・ヌ・ウㇱ・ペッ』(川口が豊漁である川)とも解される。」と付け加えられています。o-nu-usi-pet ですね。

さて、どっちが正解なんでしょうねー。個人的な感覚では、o-ni-usi という地名の方が他にも多く見られるような気がするのですが、「鬼志別」の地形に即して考えてみると o-ni-usi では少々意味が食い違うのも事実です。

それよりも、群馬県の「鬼石」とか、長野県の「鬼押出」とかとの関係が気になります。それに、日本中の「大西さん」の数と比べて「大東さん」の数が圧倒的に少ない気がするのも気になったり……。「大西」という地名の中には、もしかしたらアイヌ語に由来するものもあるかも知れない、とか? 妄想は膨らみます(←

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