はい、今回は旭川から深川にかけてのアイヌ語地名を辿ってみます。簡単なものから超難解なものまで各種取りそろえてみました。ふぅっ……。
近文(ちかぶみ)
近文は、旭川のあたりでは広く名の知れたコタン(村)で、かの知里幸惠さんが暮らしていたところでもあります。当時、その知里幸惠さんのもとに yukar の聞き取りにやってきた金田一京助さんが終列車に乗りそびれ、そのまま泊まることになってしまってさぁ大変……というエピソードがあったところ、ですね。
ただ、近文のコタンが名高いのは他にも理由があったようで、山田秀三さんによると次のような理由があるのだとか。
近文には昔からコタンがあったが,明治になって,旭川近郊のアイヌをここに集めた。それで近文アイヌの名は有名であり,今でもアイヌ文化を伝承する土地である。
ふむふむ、そんな事情があったんですねぇ。まるで京都の「寺町」みたいです。あ、肝心の「チカブミ」の意味ですが、chikap-un-i で「鳥・そこにいる・場所」みたいです。
神居古潭(かむいこたん)
直訳すると kamuy-kotan で「神・の居るところ」となります。もっとも、この直訳では地名の持つニュアンスが伝わらないとして、知里真志保さんは名著「アイヌ語入門」にて次のように記しています。
また,「カむィ」(kamúy)というアイヌ語を,一般には「神」という訳語で片付けている。それで,「カむィ・コタン」(kamúy-kotan)という地名があれば,それを「神村」などと訳して,まるでエデンの園でも見るような気でいる人もあるのである。しかし,こういう地名のついた所は,いずれも古来交通上の難所として幾多の人命を奪ったような恐しい場所で,そういう場所には恐しい神が住んでいて犠牲を要求するというような考え方にもとづいて名づけられたものなのである。だから,それは,われわれの観念にぴったりする訳語をえらぶなら,むしろ「魔の里」と訳すべきものかもしれない。
というわけなので、「神居古潭」を「神様の居るところ」と解釈するのは間違いではないのですが、その意味するところは正確に理解しておきましょうね、というお話でした(まる)。
納内(おさむない)
思いっきり「湯桶読み」の地名ですね。いかにもアイヌ語起源っぽいのですが、意外とその出自ははっきりしていないようです。もともとは「オサナンケップ」あるいは「オサンケップ」だと言うのですが、はてさてどういう意味か……。
永田方正の「北海道蝦夷語地名解」によれば、「O sa nangep オ サ ナンゲㇷ゚」であるとして、その意味は「川尻ニテ葭ヲ苅ル處 吥坭川ナリ『サ』ハ『サラ』ノ略言葭ノ義」とあります(p.61)。ちょっと調べた限りでは nangep で「苅る」という意味の言葉は見当たりませんが、nawkep で「木製の鈎」という単語が見つかりました。
「木製の鈎」ではどんなものかイメージが湧かないので、知里真志保さんの「地名アイヌ語小辞典」から牽いてみましょう。
nawkep, -i なゥケㇷ゚ 木かぎ。──自然の木の枝をそのまま利用してつくる。これで高い所にある枝を引きよせて果実を採集したり,山中で魚(マスなど)をとったが容器も縄もないというようなばあいに足跡に木の枝を切ってこれを作り,5本でも10本でもそれに刺して引いて来たりする。
うーん、これを「苅る」と解釈するのはちょっと無理があるような気もしてきました。「オサナンケップ」あるいは「オサンケップ」が正しくアイヌ語地名を伝承していると仮定すると、ちょっとお手上げかも知れません。
永田地名解の「オサナンゲㇷ゚」を捨てた人は他にもいたようで、例えば「北海道駅名の起源(昭和48年版)では、次のような解釈が示されています。
アイヌ語の「オ・サル・ウン・ナイ」(川尻にヨシ原のある川」)から出たものと思われる。
うーん、訳が分かりませんねぇ。敢えて私案を出してみるならば、例えば o-san-an-ke で「川尻・坂・ある・所」とか……。いかがでしょう?
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