やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
ペトトル川
チマイベツ川の隣を流れる支流の名前です。ペトトル川は、JR 室蘭本線のあたりでチマイベツ川に合流して、わずか 0.3 km ほどで海に注いでいます。
知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」には、次のように記されていました。
(3) ヘトツル。「ペト゚ト゚ル」(Petútur;<pét-utúr〔川・間〕。永田地名解はチパイペツ川筋としてリペツト゚ル(高キ川間)という地名をのせている。
あ、やはり pet-utur で「川・間」と解釈するのですね。
ちなみに、「角川──」(略──)には
ペトトルは高き川の間の意。
という謎な解が記されていたのですが、これで納得できました。永田地名解に記されていた「リ ペット゚ル」の解をそのまま「ペトトル」に流用してしまったという、単純なミスだったようです。
ポロペケレオタ川
国道 37 号線が現道と白鳥大橋に分岐するあたりを流れる川の名前です(近くに JR 貨物の陣屋町駅があります)。ちなみに西隣には「ポンペケレオタ川」も流れています。
今回も、知里さんの薄い本「室蘭市のアイヌ語地名」から引用します。
(一〇) ポンペケレオタ。原名「ポンペケロタ」(Pón Pekérota)。「ポソ」は「子である」「子の」の意味であるから、「ポンペケロタ」は「子の・ペケロタ」、すなわち「ペケロタの子浜」の義。後出の「ポロペケロタ」(「ベケロタの親浜」)に対する。「ペケロタ」の語原は「ペケㇽ・オタ」(<pekér-otá)〔白い・砂浜〕)。この語原を訛って「ペケレオタ」「ペケレオタ」「ベキリウダ」などと書くようになったのである。
知里さんのこだわりが「これでもか!」とばかりに出ている文章ですね。poro と pon は、一般的には「大きな」「小さな」と解釈されますが、これを「親である」「子である」と解釈すべし、というのも知里さんの持論の一つでした。
また地名におけるリエゾン(連声)を肯定的に解釈するのも持論の一つだったかもしれません。これはどちらかと言えば永田地名解に対するアンチテーゼだったのかもしれませんが……。
そして、本題である「ポロペケレオタ川」については、次のように記されていました。
(一二) ポロペケレオタ。原名「ポロペケロタ」(Poró Pekérota)「ペケロタの親浜」の義。安政年間に南部藩が陣屋を置いたのはこゝである。石川氏支配の時にベキリウダ村を置き、明治十五年室蘭村に合併した。今の陣屋町。
ああなるほど。「ポンペケレオタ」の解で「ベキリウダ」が出てきたのは、実際にこのような村名だったからなんですね。
若干余談が過ぎた感もありますが、本題を締めておきましょう。poro-peker-ota で「大きな・白い・砂浜」と解釈できそうです。今は石油タンクが並ぶ場所ですが、昔は白い砂浜が美しい場所だったのでしょうね。
幌萌町(ほろもえちょう)
陣屋町と本輪西の間の地名です。同名の川(幌萌川)も流れています。
今回も「室蘭市のアイヌ語地名」から引用します。
(一五) ポロモイ(幌萠)。語原「ポロ・モイ」(<poró-moy〔親である・湾〕〔大きい・湾〕石川氏支配の時幌萠村を設け、明治十五年これを廃し、室蘭村および輪西村に合併した。
ふむふむ。poro-moy で「大きな・入江」と考えて良さそうですね。面白いのは「poro は『親である』と解釈すべし」が持論である筈の知里さんも、しぶしぶ「大きい・湾」という解釈を(両論併記ですが)していることです。
このあたりの地形を考えると、近くに pon-moy(小さな・入江)があった可能性は十分にありそうなのですが、調べた限りではそのような記録や伝承が見つからなかったということなのでしょうか。
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