三江線の全線廃止まで、ついにあと一日となってしまいました。そして、なんともタイミングの良いことに(一回分調整したよね)426D も終点の江津に到着しました。
江津駅(ごうつ──)
今更ですが、三江線の「三」は「三次」を、「江」は「江津」を意味します。ですので三江線の終点は江津なんだよね、と勘違いされるかもしれませんが、実は三江線は江津が起点だったりします。
ですので三次行きが「下り」、江津行きが「上り」です。川は下るのに列車は上るという変な話になってますが、歴史的経緯によるもの……なのでしょうね。三江線が石見江津(現在の江津駅)から川戸まで開通したのが 1930 年(昭和 5 年)で、三江南線(当時)が三次から式敷まで開通したのが 1955 年(昭和 30 年)です。
石見川本から江津までは、前を走るキハ 120-310 に乗車しました。この車両には「三江線神楽号」というニックネームがつけられていて、石見神楽を初めとした三江線沿線の文物で彩られています。
ちなみに後位のキハ 120-314 は……標準のカラーリング、なんでしょうか(あ、でも関西本線を走る車両は違うカラーリングだったなぁ)。
例のアレ「八十神」
江津駅は山陰本線に所属する駅……だったと思いますが、三江線の起点でもあるので、もちろん「例のアレ」こと「三江線神楽愛称駅名」も設定されています。「設定されています」と大見得を切りながら写真を撮影していないあたり、理由があるような無いようななんですが、それは追々……(あれっ?)
そうそう。「例のアレ」の話なんでした。「ぶらり三江線WEB」の「神楽愛称駅名 演目解説」によると、江津駅の「例のアレ」は「八十神」(やそがみ)とのこと(耶蘇の神ではないので要注意です)。
「八十神兄弟」は、かの「大国主命」の兄でありながら、兄弟二人で弟である大国主を亡き者にしようとするとかで、まるで土曜ワイド劇場のような……(汗)。「演目解説」には、「演目との関連等」として、次のように記されていました。
大国主の恋物語や国造りに尽力する姿は、江津ゆかりの柿本人麻呂とどこかイメージが重なりはしないだろうか。
うーん、そうですかね……?(ぉぃ
出雲大社の祭神・「縁結び」の神・大国主が主役のこの神楽駅を出発点に、三江線に乗って「縁が深まる」石見の旅を楽しんでいただきたい。
あっ、これには納得です。まぁ石見は石見であって出雲では無いんですが、細かいことは考えないようにしましょう。
三江線のラインカラーは水色だった
江津駅の駅名標ですが、三江線の列車が発着する 3 番のりばは水色のラインカラーが入っていますが……
裏側は朱色のラインカラーになっています。どうやら山陰本線の米子-益田間のラインカラーが朱色のようですね。
ラインカラーは時刻表にも適用されているようで、山陰線の「D」の文字の背景が朱色になっています。
三江線の「F」の文字(の背景)は水色ですが、あっ、これってラインカラーだったんですね……(なにを今頃)。この水色は「江の川の色」をイメージしたものなのだそうです。いや、てっきり JR 西日本のコーポレートカラーかなーとばかり……(汗)。
列車の本数の違いもポイントですが、朝の 6 時に始発が出たあと、次の列車が出るまで 6 時間 34 分待ちというのもなかなか……。通学の便を考えると 12:34 発を前倒しするわけにも行かなかったのでしょうか(通学利用があったと想定しての話ですが)。
「例のアレ」の裏側
2 番のりばで出雲市方面を望みます。駅屋が木製なのがすごく味わい深いですね。
ちなみに、右側に待合用の椅子があるのにお気づきでしょうか。この椅子は 2 番のりばを向いていますが、裏側の 3 番のりば側にも同じように椅子があるのですね。そしてその上の白いパネルに「例のアレ」が掲出してあったようです。
……要するに、すぐ近くに居ながら「三江線神楽愛称駅名」の駅名標の存在に気づかなかった、ということです。すんごく注意力散漫だったわけですが、その理由はまた後ほど……(あれれっ?)
語り継ぐ人もなく
楽しかった三江線の旅も、ついに終点までたどり着いてしまいました。「ヘッドライト・テールライト」が聞こえてきそうな気分です。
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