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アイヌ語地名の傾向と対策 (484) 「山越・ブュウヒ川・奥津内川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。

(この背景地図等データは、国土地理院地理院地図から配信されたものである)

山越(やまこし)

yam-uk-us-nay
栗・拾う・いつもする・沢
(典拠あり、類型あり)

野田生(のだおい)と八雲の間にある地名です。59 号系統の終点ではありません(ローカルネタ)。JR 函館本線同名の駅がありますね。

ということで、まずは「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  山 越(やまこし)
所在地 (胆振国)山越郡八雲町
開 駅 明治 36 年 11 月 3 日(北海道鉄道)(客)
起 源 もと「山越内」といったが、明治 37 年「山越」と改め、地名に合わせたものである。山越内はアイヌ語の「ヤム・ウン・ナイ」(栗の実の多い沢)からとったもので、この付近はむかし和人の住む地とアイヌの住む地の境で、関所があった。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.10 より引用)

現在は「山越郡」と言えば長万部町だけになってしまいましたが、元々は八雲町も「山越郡」だったんですよねぇ(八雲町は熊石町との合併で新設した「二海郡」に移行したため「山越郡」から離脱)。

Wikipedia に次のような記述を見つけました。

戊辰戦争箱館戦争終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して山越郡が置かれた。開拓使公文録には山越郡に「ヤムクシ」との訓が付してあったが、明治9年の大小区画制の際には「やまこし」になっていた。
Wikipedia 日本語版「山越郡」より引用)

なるほど、やはり元々は yam で「栗」に由来すると考えて良さそうですね。

永田地名解には次のように記されていました。

山越郡 元名「ヤㇺクㇱュナイ」(Yam kush nai)栗殻澤ノ義又栗ヲ拾フタメニ通行スル澤トモ譯ス(室蘭郡ニモ同名ノ地アリ)弘前蝦夷志ニ云フ舊ト蝦夷ノ國ト唱ヘタル「ヤㇺクㇱュナイ」ヲ寛政十一年山古志内村ト改メ此村マデヲ華邑ト成シ御觸書アリ同十二年此邑ヘ會所普請旁御用辨ノ爲メトテ大工家内持壹戸馬追壹戸移住セシメシノミナリキ

ここまで引用してきた三項目、どれも多少の違いがありますが、大枠では同じようなことが書いてありますね。yam-uk-us-nay で「栗・拾う・いつもする・沢」と考えていいんじゃないかなぁと思います。

yam-kus-nay だと「栗・通行する・沢」となるので、街道筋を闊歩する栗の姿を想像してしまいました(ぉぃ)。これはさすがにちょっと変な感じがしますね……。

ブュウヒ川

puy-un-pe
エゾノリュウキンカの根・ある・もの(川)
(典拠あり、類型あり)

道央自動車道・八雲 PA の西側を流れる川の名前です。ブ、ブッ、ブュ……発音が難しそうな川名ですね。

戦前の陸軍図には「無弓部」という地名に「ブヨベ」というルビが振られています。何をどうこじらせて「ブュウヒ」という名前になってしまったでしょう……(汗)。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「フコヘ」と記されています。ただ「コ」の字の下の横棒のほうがちょっとだけ長いようにも見えます(!)。北海道測量舎五万分一地形図 胆振国(トレース)を見てみると、「フュペナイ」と記された文字の上に鉛筆で「ュ」を「コ」に但し書きしたのを確認できます。

ということで「フコヘ」が正しいのか……と思ったのですが、「竹四郎廻浦日記」には次のように記録されています。

     フ ヨ ベ
此処も同じく夷家昔は有し由。今はなし。漁小屋、雑蔵各一棟づゝ有。
松浦武四郎・著 高倉新一郎・解読「竹四郎廻浦日記 下」北海道出版企画センター p.590 より引用)

「フコヘ」が正しいのならば、余市の「フゴッペ洞窟」と同じなのかなぁ、などと想像していました。ただ「フヨペ」ならばもう少し一般的な解が思い浮かびます。

永田地名解には次のように記されています。

Pui un be  プイ ウン ベ  流泉花(エンコソ)アル處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.163 より引用)

そういうことですね。puy-un-pe で「エゾノリュウキンカの根・ある・もの(川)」と解釈することができそうです。「プイウンペ」が「プユペ」になった……までは理解できるのですが、そこから何をどうこじらせたら「ブュウヒ」になるのか、結局理解できませんでした(汗)。

「プイウンペ」が「プヨペ」になる理屈ですが、もしかしたら、puy-un-pepuy-ot-pt(エゾノリュウキンカの根・群在する・もの(川))と呼ぶ流儀があったのかもしれませんね。

奥津内川(おくつない──)

o-u-kot-nay
川尻・互いに・くっついている・沢
(典拠あり、類型あり)

八雲駅から 2.6 km ほど函館方面に進んだあたりの地名……でした。現在は地名としては失われ、川の名前として残っています。奥津内川の西隣りには「ポン奥津内川」が流れていて、国道 5 号線のあたりでは両者の間は 280 m ほど、海側の JR 函館本線のあたりでは 180 m ほどしか離れていません。

ヒントは以上です(ぉぃ)。もしかしたら「あっ……」と感づいた方もいらっしゃるかもしれませんね。ということで永田地名解、行ってみましょうか。

O-ukot nai  オ ウコッ ナイ  合流川 「オ」ハ川尻、「ウコッ」ツハ合同ノ義二川流レテ海濱ニ至リ合流スルニヨリ名ク
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.163 より引用)

はい。興部を始めとして道内各所に見られる地名でした。o-u-kot-nay で「川尻・互いに・くっついている・沢」ということですね。現在の「奥津内川」と「ポン奥津内川」は互いに合流すること無く噴火湾に注いでいますが、戦前の陸軍図を見ると海に注ぐ直前で両者が合流しています。つまり、こういう構造の川のことを「オウコッ」と呼んだということですね。ウコッ、いいk(ry

せっかくなので、久しぶりに「わりと感じのいい,たのしい本」として知られる知里さんの「アイヌ語入門」から引用しておきましょう。

 川はまた,生物であるから, 生殖行為もいとなむ。それで,二つの川が合流しているのを「ウと゜マム・ペッ」(u-túmam-pet「お互いを・抱いている・川」「抱きあっている川」)とか,「オうコッナイ」(o-ú-kot-nay「陰部を・おたがい・につけている・川」「交尾している川」)とかいって,各地にその地名があるのである。

はい。「川尻・互いに・くっついている・沢」という解釈がいかに穏当なものだったか、ご理解いただけましたでしょうか(汗)。

余談ですが、現在は「奥津内川」「ポン奥津内川」という名前の両河川について、「東西蝦夷山川地理取調図」は全く違う名前で記載がありました。曰く、「奥津内川」が「タフカンナイ」で「ポン奥津内川」が「フフカンナイ」とのこと。どことなく双子のような川名なのが面白いですね。

ちなみにどちらも永田地名解に記録があります。「タッ カン ナイ」は tat-kan-nay で「樺皮を取る沢」、「フㇷ゚ カン ナイ」は hup-kan-nay で「トド松を取る沢」とのことです(kankar が音韻変化したものです)。

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